ラスキンとブルームズベリ派の不安

 7月18日〜19日の二日間、ランカスター大学で開かれたジョン・ラスキン関連の学会に出席(Persistent Ruskin: Aesthetics, Education, Social Theory 1870-1914)。

 ラスキンの美学、教育、社会思想のインパクトを(著作のみならず、教育者としての活動、セント・ジョージ・ギルドの実践も含めて)ヴィクトリア朝後期とエドワード朝(さらにそれ以後も)にまで辿ってみるという趣旨で、ラスキンと1890年代のシドニーの建築業界、ナイアガラの滝の保全ナショナル・トラスト、センチュリー・ギルド、カーペンターと『この最後の者まで』、ヒンクシーの道路工事の詳細、Joseph Southallの未刊の講演、「T. S. エリオット、ロレンス、ジョイスにおけるラスキンの伝説の女たち」、「キリスト教社会主義ヴィクトリア朝末期の劇場」、現代の臨床医学ラスキンの関連、ラスキンとカトリシズム等々、多岐にわたる16本のペーパーが読まれた。

 個人的に特に興味を引かれたのはAndrew Lengさん(シンガポール大)の “Enduring Ruskin? Bloomsbury's Anxieties of Influence”と題するペーパー。Roger Fryの芸術批評に埋め込まれた「ラスキンの影響へのブルームズベリ的な不安」を摘出する試み。フライが(アシュビーと協働していた頃)ラスキンにどっぷり遣ってから、そのようなラスキン経験などなかったかのような身構えを整えてポストインプレッショニズムの批評家として自己形成を遂げていった経緯については、Michael T. Saler, The Avant-garde in Interwar England (OUP, 1999)などでも記述されているが、Lengさんは、ウルフのフライ伝を媒介として(ウルフは「フライがそれまで決して見えずにいた特質に目覚めることができたのは、ラスキンやペーターの言葉の技巧があったからこそだった」という趣旨のことを書いている)、ターナー、クロード、ラファエルらを論じたフライのテクストをラスキンの批評と比較検討し、フライにとっての最大のEminent Victorianを彼がいかに(無視しようとしてもできず)超克しようとしたかを論証している。

 じつはこのネタは私も考えていて、おいおい仕込んでいこうと目論んでいたものだった。E. M. Forsterの同種の「不安」については、以前に拙論でふれたことがあるが(「ベデカーなしでサンタ・クローチェへ――ラスキン・フォースター・フィレンツェ」出渕敬子編『読書する女性たち』]所収)、フライもラスキン、モリス、アーツ・アンド・クラフツ運動の延長上に置いてみたら、もちろんすっきりとした系譜にはならないが、矛盾、錯綜(また上記のanxieties)の有様がおもしろく見えてくるのではないか、と思ったのだった。

 この点に注目したのはわりと最近のことで、そのきっかけは(これは何人かの人にお話しした覚えがあるが)、イングランド南部サウス・ダウンズにあるブルームズベリ・グループゆかりの館チャールストンを見学して、ヴァネッサ・ベルやダンカン・グラントらが手がけた壁画や家具調度の装飾の面白さにはまってしまったからだった。その装飾思想はアーツ・アンド・クラフツの質実な気風とは異質で、家具などどこかの既製品に自分で好きなように、「へたうま」風に(この表現、もう古いか)ペイントしたようなもので、モリスなどが見たら「こんな偽物を」と怒ったであろうような代物なのだけれど(なにしろ家具調度のマテリアルにはどうやらさほど関心がないらしくて、なによりも表面の着色に情熱を傾けている)、それにもかかわらず、室内空間が軽やかにコーディネイトされていて、そのなかにいて気持ちが浮き浮きしてくる。楽しいインテリアになっていて、ぜんぜん嫌いじゃない。自分は「モリス主義者」のつもりだったのだけれど・・・この「楽しいモダニズム」空間を喜んでいる・・・

 そう、あのときチャールストンを案内してくださったのはGillian Naylor先生。ロンドン同時多発テロがあった数日後のこと、ロイヤル・コレッジ・オヴ・アートでの教え子二人(その一人が日本人のSさん)がブライトンに住む彼女を訪問するというので、モリス学会の出張ついでに同行させてもらったのだった。お宅にお邪魔してご自慢の庭など見せていただいたあと、車でちょっと足を伸ばして、ロドメルのマンクス・ハウス、エリック・ギルゆかりのディッチリング、そしてチャールストンと回った。ネイラー先生の御著書はMorris by HimselfBauhausが邦訳されているが、アーツ・アンド・クラフツ運動についての基本文献The Arts and Crafts Movement: A Study of Its Sources, Ideals, and Influence on Design Theory(1971)が未訳だった。1851年万博、ヘンリー・コール主導の国家レヴェルのデザイン改革、コールと別の立場から芸術を通しての社会批判をおこなうラスキン、それを継承してデザイナー=社会主義者となるモリス、彼を範としてのアーツ・アンド・クラフツ運動、さらにドイツ工作連盟バウハウス、そしてクラフツマンの理念とインダストリアル・デザインの総合を果たしたスカンディナビアでの実践という近代デザイン史上の重要な分節点をよく押さえた名著で、これは30年以上前の本で、その後、個別の研究が進んでいるとはいえ、これはいまでも翻訳刊行する価値は十分にあると思います・・・私もそう思います、それじゃ一緒に訳しましょう、ということでSさんと共訳で出そうというのもその時点で決まっていた。翻訳作業はこの4月に遅ればせながら完了。あと半年ぐらいのうちには刊行できるだろう。さらにブルームズベリの画家たちについては、Bloomsbury: The Artist, Authors and Designers by Themselves (1991)という(Morris by Himselfとおなじ趣向の)ソースブックを編集しておられて、これも有難い文献。そのような大家にガイドをしていただいたのだから、あのときは稀有の僥倖に恵まれたのだった。ご高齢のネイラー先生、お体の具合はいかがなのだろうか。

 ともあれ、そういう契機があって、それまでは研究書や展覧会の図版を見ただけではピンと来なくて、関心の領域からまったく外れていたブルームズベリの画家たち、ヴァネッサやダンカン・グラントら、そしてフライとオメガ工房の活動のことがとてもおもしろく思えてきたのである。フライとオメガ工房については、日本でも西に要真理子さん、東に加藤明子さんと、すぐれた若手研究家がいて、私の出る幕はないのだけれども、またラスキンとフライのディスコースを併せて検討するという手は上記のLengさんが使ってしまわれたが、これとはまた違った切り口もある。それをだれかがやるのであればそれもかまわないが、おいおいと趣味的に見ていきたいと思う。チャールストンもまた行ってみたいし。