ラスキン先生の「罵倒プレイ」

 今日は午前中大学に行ってラスキン・センター長のキースと秋の学会の打ち合わせをしたあと、家に戻って翻訳作業。目下かかえている翻訳仕事としては、RW論集の翻訳のプロジェクトがあって、これも徐々に進めているが、今日はもう一件のラスキンの方。浩瀚The Stones of Veniceの第2巻第6章 “The Nature of Gothic”の訳。

 この章はラスキンの生前から単独で印刷されたのが何度も版を重ね、アーツ・アンド・クラフツ運動に関わった人々をはじめ、19世紀後半に大いに影響力をもった。とりわけモリスへのインパクトが強力だったことは、彼のプライヴェット・プレスであるケルムスコット印刷所でこれを刊行していることからも察せられる(1892年刊行)。その序文でモリスは、「これはこの著者によって書かれた最も重要な著作のひとつであり、将来、今世紀〔19世紀〕の数少ない必要不可欠の言説のひとつとみなされるであろう」と述べ、「倫理と政治の師」としてのラスキンが、この章を出発点として、『この最後の者にも』につながるような、「「社会」の再生にむけて真摯で堅実な仕事」をしたことを称えている。

 私自身も、院生時代に小野二郎先生のゼミでこれを精読したことがあり、ラスキンの著作のなかでもひときわ愛着のあるテクストで、それを翻訳刊行できるというのはありがたいことだ。それにもかかわらず、すでに大幅に「納期」を過ぎてしまっており、編集者にお待ちいただいているという情けない状態。イギリスにまで持ち込むつもりはなかった。言い訳になるが、たかだか1章分とはいえ、ちゃんとやるとなると(ちゃんとやるのは当たり前か)やたらと手間がかかるのだ。

 本章でいちばんの目玉と言える、ヨーロッパの鳥瞰図(「北方諸国と南方諸国のあいだに存在する物質的特徴の対照を、絵を見るように生き生きと描き出してくれた地図」の描写)や、産業労働者が強いられる労働の様態の批判が出てくる前半部分はほぼ仕上がっていて、いまは後半部分の訳の推敲と訳注作りにあたっている。本日はムリーリョの絵画に言及している個所を進めているのだが、「裏を取る」作業で難航。こういうくだりがある。

ダリッチ・ギャラリーに入り、二人の乞食の男の子――一人は物を食いながら地面に寝そべり、もう一人はそのかたわらに立っている――を描いた世評に高い絵についてしばし考えてみられたい 。・・・そうした不愉快で性悪な子供たちを描くことで画家が時間を費やすことはよかったのだろうか。・・・飢えを示すのであれば他のやり方でもできたのであり、やつれた顔を描いたり、物欲しげな目にしたりすることによって、この食べるという行為にさえ興味をもたせることもできただろう。だがこの画家にはそうする気はなかった。口一杯にほおばるその不愉快な食いっぷりを楽しんでいるだけなのだ。その少年は飢えてなどいない。ひもじかったら、食べながらふりかえって話をしたり、にたにた笑ったりするはずがない。・・・下の方の人物像に見られるもうひとつの点に注目されたい。その人物は絵を見る者に足の裏をむけて横たわっている 。それも、別の姿勢で横たわると居心地が悪くなるからという理由ではなく、画家が足にこびりついた灰色の埃を描き、ひけらかすようにするためなのだ。これを自然の絵画と呼んではいけない。単に汚れを楽しんでいるにすぎない。

 いかにもラスキン流の「罵倒プレイ」で、当時スペインの画家としては最も世評が高かったムリーリョの風俗画を切り捨て、それに対して自分が師事したW・ハント(水彩画家のほう)を持ち上げている。不真面目な私は、ラスキン先生、おなじ理屈でミレイの「両親の家のキリスト」を批判しようと思えばできましたよね、などと茶々を入れたくなる(そちらのほうは『タイムズ』のミレイ批判に対して弁護の論陣を張り、PRBの擁護者=理論家となったことは周知の通り)。ラスキンの罵倒/絶賛の基準が時々よくわからなくなることがあるもので。

 それはともかく、ダリッチ・ギャラリー所蔵のムリーリョ作品では、この描写に正確に該当するものはない。いちばんそれらしいのは以下の

「ボール遊びの誘い」(部分)だろうが、ものを食べているのは左手に立つ男の子の方だし、足の裏を見せてもいない。ダリッチの他のムリーリョ作品、あるいはルーブル所蔵の「乞食の子供(蚤を取る少年)」など複数の作品を混ぜ合わせてこのように描写している可能性がある。

 こういうことがラスキンの文章で時々見られる。まあ現代のように美術全集やらネットで画像検索をして確かめながら書けるという時代でなく、以前に見た記憶(とノート)を頼りに執筆に当たっていたのだから(旅先の執筆も多かったし)、無理もないのだろう。ちなみにダリッチ・ピクチャー・ギャラリーはロンドン南郊のイギリス最古の公共美術館(漱石も訪問している)で、少年時代のラスキンは家がわりと近くにあったので、頻繁に通って鑑賞していた。罵倒はともかく、上記の文章は、一連のムリーリョの絵のタッチをよくとらえた記述だとはいえる。「本質」を抑えているという点では、大した記憶力だといえるのかもしれない・・・訳文を整えつつ、このあたりのことを訳注でまとめる作業をしているうちに、あっというまに日が暮れてしまった(当地の現在の日没時間は9時半頃ですが)。今日も牛歩の歩みだった。