ブラントウッド再訪

 うかうかしているうちに在ランカスター5ヶ月目に入った。天気は一日のうちに曇って、にわか雨が降って、それから晴れて、また曇って、という感じで変わりやすい。気温は(いま曇り空の午後7時で)18度くらい、ひんやりとしている。

 一昨日、兵庫在住の知人のWさんが当地に滞在中なので、湖水地方のコニストン湖畔にあるジョン・ラスキン邸にご案内する。Wさんとは10年前にポストコロニアリズム関係の研究書を共訳した。インド史のご専門で、翻訳作業(あれはまれに見る面倒くささだった)ではたいへん助けられた。マハトマ・ガンディがラスキンの影響を強く受けている(ガンディの自伝で『その最後の者にも』Unto This Lastとの決定的な出会いについて述懐しており、またこの本を自身でグジャラート語に翻訳してもいる)ということで、その面からラスキンに関心をもっておられる。

 ランカスターからは1時間半ほどのドライブ。日本から持参したGPS内臓のPDAにこちらで買ったTomTom Navigatorのソフトをインストールしてカーナビとして使っていて重宝しているものの、田舎のためかGPSの位置確認に手間取ったり、ラウンドアバウトなのにナビの指示が出なかったり、もっとひどいのがスタイルスと画面がさかさま(鏡像の状態)になって直らなくなったりという不備もあって、なだめすかしながら使っている。

 コニストンのラスキン邸はブラントウッド(Brantwood)という名前で、ラスキンの後半生、1872年から死去する1900年まで28年間ここに住んだ。文字どおり彼の終の棲家。書斎(書架には自伝『プラエテリタ』Praeterita執筆に参照したと思われる書物が見える)、食堂、寝室など、当時の面影を伝え、壁面にはラスキンの素描が多く掲げられている。コニストン湖が見下ろせて、各部屋が「眺めのよい部屋」になっている。広い敷地にはラスキンのデザインをもとにした庭がもうけられている。

「そんな素敵なところに住めたラスキンさんはさぞや幸福だったのでは」と思われるかもしれないが、まあ、いろいろ、思いどおりにいかないことがあったからなあ(とくに後半生は)。晩年のフラストレイション、挫折感、嵩じる精神失調、老化、終りの意識、そうしたものがあいまっての痛々しさが回想記『プラエテリタ』(タイトルは「過ぎ去ったことども」の意味。副題はOutlines of Scenes and Thoughts Perhaps Worthy of Memory in my Past Lifeとある)の通奏低音をなしていると思えるが、それでもその文体は彼の著作のなかでもひときわ清澄だ。

 出発したときは雨模様だったのが、ブラントウッドに着いた頃には晴れ上がり、コニストン・ウォーターに日は燦々と注ぐ、ラスキンの書斎から望めるその風景は目にしみた。