ヴェネツィアのラスキン学会

 9月25日〜27日の三日間、ヴェネツィアで開かれたジョン・ラスキンの国際会議Ruskin, Venice and C19th Cultural Travelに出席。主催はランカスター大学の(AHRC基金による)ラスキン・プロジェクトとヴェネツィア大学ヨーロッパ・ポストコロニアル研究学科。ラスキンヴェネツィア、そして19世紀の「文化的な旅」という大枠のなかで、18のパネルで82点のペーパーが読まれ、連日の最後になされるプリーナリー・セッションを加えると、18カ国から参加した研究者総計90人が発表するという盛大な会議となった。会場は初日が中心部にあるスクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコの2階大広間、あとはアコモデーションがあるサン・セルヴォロ島内のヴェニス国際大学を会場にした。
 初日のサン・ロッコでの開催は大変シンボリックな企画だった。この「大同信会館」はヴェネツィアの観光名所のひとつだが、その大広間はすべてティントレットの大型の油彩の連作で飾られており、おなじフロアの接客の間にはこれもティントレットによるモニュメンタルな「磔刑」がある。これらにラスキンが出会ったのは1845年9月、彼が26歳のときだった(その2年前にターナー擁護のための『現代画家論』第一巻を上梓している)。父親宛の手紙にこうある。

今日私は絵を浴びるように飲み、溺れ死んでしまうほどでした。ティントレットを前にして、今日の私のようにかくも徹底的に打ちのめされてしまったというのは、他のいかなる人間の知を前にしてもかつてなかったことです。どうか私の画家たちのリストをお取りになって、彼を〈芸術〉の流派ではすべてのうちで最上段に置き〔ここの原文は"at the top, top, top of everything"となっていて、興奮ぶりがうかがえる〕・・〈知〉の流派ではミケランジェロに次ぐ位置に置いてください。

翌9月25日付の父親宛の手紙では、午前中2時間その絵の前に座して、自分自身に力がみなぎるような思いをしたと告げている。この滞在中に手がけた「磔刑」の習作も残っている。この時期のラスキンのティントレット評価はそれこそ手放しの絶賛というところだが、その後彼は次第に評価を保留するようになる。これはティントレットだけに限らない。上記に言及されているミケランジェロが典型的だが、ジョットやアンジェリコらのプリミティヴ画家たちは別にして、古の巨匠(Old Master)たちに対して年をへるごとにひどく辛口になるのである。1871年に出した「ミケランジェロとティントレット」は両者への批判の書といってよい(特にミケランジェロについては罵倒に近い)。この一種の前言撤回(palinode)を私たちはどのように捉えたらよいのか――学会初日の会議の最後は、その会場にふさわしく、「ラスキン・ティントレット・スクオーラ」と題し、その問題を取り上げた「円卓会議」だった。惜しむらくは、時間が足りず、当初の予定時間が1時間だったのを多少延長して90分近くになったものの、4人の報告者がそれぞれポイントを示すにとどまり、議論を深めるところまではいかなかった。それでもその圧倒的な会場でこのトピックが扱われること自体が十分に刺激的で、周囲には新約聖書を題材にした連作、また発表用の仮設のひな壇の背後右手には「聖母のエリザベツ訪問」(8年前バーン=ジョーンズとの関連でこれを調べにきたので懐かしい)、左手にはティツィアーノの「受胎告知」が目に入り(いずれも周囲の大作と比べると小ぶりだが、私にはこちらのほうが好み)、この場を設定した企画者(特にキース)に感謝の念を覚えた。その後はサン・ロッコの一階で懇親会。

 2日目と3日目はサン・セルヴォロ島のヴェニス国際大学に場所を移した。サン・マルコに程近いザッカリアから出る船で10分の距離にあり、周囲を歩くと20分で一回りできるくらいのごく小さな島で、私を含めて参加者の多くはここに宿泊した。来る前にここは以前精神病院だったという噂を耳にしていたので、サン・セルヴォロの船着き場で旧知のジョン(ウィガン在住の研究者)に聞くと、嬉々として、「そう、ここはかつてlunatic asylumだった。あちらは〔と、南南東に見えるさらに小さな島を指さして〕サン・ラザロ島、leprosy患者を隔離した島。そしてあちらは〔と、今度は南西を指し〕サン・クレメンテ島で、墓場として使ってきた島。というわけで、ひととおり揃っていたわけだ」と説明してくれた。
 その島の来歴と、また以前の滞在した人の話ではアコモデーションがひどいようだという噂を聞いてここをキャンセルして本島に宿を変えた方もいたが、宿泊施設は清潔で、広めだし、まったく問題なかった。むしろ低価格だし(ラスキンの定宿だったダニエッリあたりと比べたら、その5分の1以下だろう)、周囲の海、それにヴェネツィア本島が望める景色がすばらしい。

続きはまた。