デイヴィッド・ロッジの最新作を読む

 終日荒れ模様の天気。

 明日が締め切りの原稿が最優先事項ではあるが、お茶の合間に気分転換にと思って、旅行前に3分の2ほど読み進んで中断していた小説を読み出したところ、恐れていたとおり、やめられなくなって、結局終わりまで読んでしまう。

 読んだのはDavid Lodgeの最新作(といっても夏前に出ていたが)Deaf Sentence

Deaf Sentence

Deaf Sentence

 著者自身が聴覚障害者となった経験を基にしてこれを書いたいきさつが『サンデイ・タイムズ』に載ったエッセイで述べられている。イングランドの一地方都市に住む主人公のデズモンド・ベイツは齢60を超え、言語学の教授であったが(バーミンガム大をモデルにした彼のキャンパス・ノヴェルの舞台「ラミッジ」の名前は出てこないが、そこを連想する)、言語学科と英文学科の統合の際に早期退職、かねてから難聴だったのが年をへるごとに悪化し、補聴器を手放せない。8歳下の妻(最初の妻とは死別し、再婚している)はシティセンターに開いたテキスタイル販売の店が成功し、地域の名士になっていて、障害もあって家に閉じこもりがちの夫と対照的な社会生活を送っている(彼は退職後、学務からの解放をしばらく享受したあと、アカデミック・カレンダーを懐かしむ状態になっている)。主人公の父(かつてダンス・ミュージックのバンドでサクスフォンを吹いていた)は89歳の高齢でロンドン郊外で一人暮らしをしている(母親は一昔前に亡くなっている)。主人公は定期的に父親の様子を見に行って、年々一人ぐらしが困難で危険になってきたのを心配し、自宅近所の老人ホームへの入居を勧めるが本人は頑として受け付けない。そこにきて、主人公がいた大学の博士課程に在籍する20歳代後半のアメリカ人女性が彼に接触してきて、彼女の博士論文のテーマ(自殺者の遺書の応用言語学的分析)について指導を求めてくる。虚言癖があり、精神的に不安定なところもあるこの女性の奇妙で迷惑な行動が、聴覚障害の日々の苦労、それに親の介護問題に加えて、さらなる悩みの種となる。

 以上の四人が主要人物となって、主人公の日記のスタイルを主とし、一人称の手記、さらにたまに三人称の語りも交えて、主人公の悩み多き日々が語られていく。「Blindnessは悲劇的、だがdeafnessは喜劇的」という一般の先入観を用いて、特に出だしのあたりはdeaf(ness)という語で洒落のめすような(『大英図書館が倒れる』のパスティーシュを思わせる)言葉のジャブを多用して笑わせ、またお得意のキャンパス・ノヴェルの背景幕を一部使ってはいるものの、父親の痴呆症の悪化、卒中での入院、病死した前妻の臨終の記憶、ポーランドへの講演旅行の際のアウシュビッツ訪問・・・と終わりに近づくにつれて深刻さの度合いが増していく。そもそもDeaf Sentenceというタイトルそのものの洒落に「死」が控えているわけであって、「自殺者の遺書の言語学的考察」への研究協力というサブプロットもあわせて、「死を想う」物語となっている。

 読了後、ウェッブ上に出ている書評をざっとチェック。おや、概ね辛口だ。ジョナサン・ベイトなんか、「キャンパス・コメディからの衰退」(A decline from campus comedy)だとして、駄作と切り捨てている。出だしを訳してみようか。

デイヴィッド・ロッジは現代イギリス小説におけるウッディ・アレンである。初期の作品は人を引き付けるスラップスティックだった(アレンの『スリーパー』、ロッジのGinger, You're Barmy)。その次に、作者が自身の声を完璧なものとする喜劇の傑作が出た。『交換教授』、『小さな世界』、『素敵な仕事』は、ロッジ版の『アニー・ホール』や『マンハッタン』なのだった。その後はずっと下り坂である。イングマル・ベルイマンやら、ロッジの場合は、ヘンリー・ジェイムズのスタイルで書くというのは、悲惨な試みだ。新作が出るごとに、熱心なファンは復調の兆しが見えることを期待してきたが、結局は新たに失望を受けるだけだった。

いやあ、身も蓋もないなあ。確かにキャンパス・ノヴェル三部作はロッジの代表作で、(おなじ業界にいるという事情もあるが)私も大好きで(特に『小さな世界』の面白さは抜群)、それらに彼の真骨頂が出ているにはちがいないが、それ以後がだめとは私はぜんぜん思わない。上記の大上段に構えての切り捨て方は少なくとも「熱心なファン(devoted fans)」の調子じゃあないなあ。ベイトさんの本(『大地の歌』とか、『シェイクスピアオウィディウス』とか)は私はわりと好きで、ことあるごとに「この人は私は嫌いです」と(日本語で)公言して憚らないT先生とは考え方が違うけれども、この書評に関しては、何を偉そうに、という感じがするなあ。

 『どこまで行けるか』、『楽園ニュース』、『恋愛療法』、『考える…』という「悲喜劇」路線もロッジの小説群のなかで大事なものだと私は思うし、Deaf Sentenceはこれらの延長上にあって、面白おかしく笑わせて、切ない思いにさせてくれる、「ロッジ節」の小説で、もろもろの書評が「感傷的すぎる」とか、「日記スタイルが安易だ」とか、「扱っているdeafnessそのものを思わせる朦朧さがある」とか、いろいろ言っているが、一介のファンとして、これは「胸にこたえる真実」に迫ったよい小説だと、応援の言葉を一言述べておこう。これは珍しいことに献呈の辞に各国語の翻訳者11人の名前が記されていて、最後にSusumu Takagiの名前が見える。同氏によっておそらく日本語版が準備されていることであろうが、題名はいったいどうされるのであろうか。

 おっと、こんなことを書いている場合ではなかった。急ぎの原稿に戻らなければ。