マイヨールのミューズ

「前倒し」の学務をひとつ済ませて、翻訳仕事を進める。2月2日はロンドンほかで「大雪」だったが、翌日も(雪の予報だったため)休校にすると決めた学校がイギリス全国の学校で8000校あって、ふたを開けてみたら天気は上々、なんで休むんだ、と親からの苦情が殺到したらしい。生徒のほうはおおむねお祭り気分のようで、積もったところは、そり遊びやら雪合戦やらスノーマンづくりやら。スノーマンの特集記事を見ると、いろいろなバリエーションで創意工夫をこらしていておもしろい。
 今日の『ガーディアン』紙のObituaries欄にディナ・ヴィエルニー(Dina Vierny)の記事が出ている。先月下旬89歳で亡くなった由。フランスの彫刻家(画家)のアリスティド・マイヨール(Aristide Maillol, 1861-1944)の晩年のモデルを務めた女性で、彼女からインスピレーションを受けた代表作に、「河」(La Rivière, 1939-43)がある。

 マイヨールが彼女と出会ったのは1934年、彼が73歳、彼女が15歳のときのことで、晩年にある種の行き詰まりに陥っていたマイヨールにとって、ヴィエルニーの出現が新たな方向性を彼に示唆することになり、その点でまさに彼女はマイヨールの「ミューズ」だったと記者のマイケル・マクニー(Michael McNay)は言う。

 Obituaryというのはなんと訳したらいいのか。通常は「死亡記事」か。だがこれだと日本の新聞の「訃報」を連想してしまって、ずれが大きい。『ジーニアス英和大辞典』だと「故人略伝」という訳語もあって、これのほうがよいかもしれない。1千語ぐらいの分量で、故人の略歴と業績を記すわけだが、この記事などは、マイヨールと19世紀末のナビ派との関係、ロダンとの作風の違い、ピカソマチス、ボナールとの親交などにふれつつ、そのうえでヴィエルニーとの出会いが彼にどのような作用を及ぼしたかを、彼女自身の経歴と重ねて論じていて、良質のアート・エッセイとして読める。じっさい、記者のマクニーは美術畑のようで、昨年同紙でラウシェンバーグのobituaryも彼が書いていた。なかなかよい書き手だ。
 いま見たら、この記事はもうウェッブ上にアップされていた(Dina Vierny)。