ライジング・サンのサンデイ・ロースト(ほか)

 先週末、ロンドンへ。主な用件はふたつ。ひとつはロンドン大学ユニヴァーシティ・コレッジ図書館、Special CollectionsのThe George Orwell Archiveでの資料調査。当日朝(金曜日)また雪が降っており、数日前の「大雪」の騒動があったのでどうなるかと思ったが、電車もバスもそう問題がなかった。今回は、オーウェルの『動物農場』に関わる資料(タイプ原稿。校正刷り、初版で冒頭にふされるはずだったが結局掲載されなかった序文のタイプ原稿)を中心に見せてもらう。1998年に完結したピーター・デイヴィソンによる全集版がしっかりしていて、『動物農場』も原稿、校正刷り、諸版の異同が巻末の校異で示されているので、ほぼ既知の情報の確認ということになるが(それに『葉蘭をそよがせよ』などと比べると異同はそれほどないのだが)、未見なので現物を見ておいたほうがよかろうと思って訪ねた。
 ちなみに、最も重要な異同のひとつは、第8章、フレデリックとその手下たちが動物農場に奇襲攻撃をかけて、動物たちの労働の賜物であった風車が爆破されてしまう場面で、タイプ原稿でも校正刷りでも「ナポレオンもふくめて(Napoleon included)動物たちはみんな、腹ばいになって顔をかくしました」となっているのを、校了間際に「ナポレオンをのぞいて(except Napoleon)、動物たちはみんな、腹ばいになって顔をかくしました」と変更している。フレデリックの攻撃は、直接的にはドイツ軍のソヴィエト侵攻をふまえており、その細部の変更は独ソ戦におけるスターリンの行動について得た情報に関わる。その変更を出版社に指示した手紙(1945年3月17日付)でオーウェルはこう説明している。「本が印刷されてしまっていれば気にすることもないことなのですが、こう変更するのがJS〔スターリン〕に対して公正を期することになると考えたのです。ドイツ軍の進撃中に彼は実はモスクワにとどまっていたのですからね」。こういうところがオーウェルらしい。
 全集版の校異では言及されていないマイナーな(つまり、まあどうでもいい)異同として、たまに原稿の綴りがアメリカ綴りになっていて(recognisedがrecognizedと書かれていたりする)、編集者あるいは植字工が直しているところがあって、これは、おやオーウェルらしくない、というところだ。

 もうひとつの用件は日曜日(2月8日)、The Ruskin Societyのイヴェント。この日はちょうどラスキンの誕生日にあたり(1919年生まれだから、生誕190年ということになる)、シティ内、スミスフィールド(地下鉄バービカン駅近く)のセント・バーソロミュー・ザ・グレイト教会のチャペルで講演会があった。その会の前に、教会の向かいにあるパブThe Rising Sunの二階で昼食会があり、サンデイ・ロースト(ビーフ)をいただく。「日の出」亭、落ち着いた雰囲気のお店でよかった。ロンドンでのラスキン協会の会合に参加したのは2度目になる。講演はジル・コックラムさんによる「ラスキンの社会思想における歴史の解釈」。この方はロンドン大で博士の学位を取られた若手の学者で、一昨年に博論に基づく『ラスキンと社会改革』を上梓された(Gill G. Cockram, Ruskin and Social Reform: Ethics and Economics in the Victorian Age, London and New York: Tauris Academic Studies, 2007)。たまたまこれを私は1年前に某誌の年末の「読書アンケート」で取り上げたのだった。そのときのコメントを以下に引用しておく。

 19世紀イギリスで「レッセ・フェール」批判の論陣を張ったのは他にもいたのに、1860年に『この最後の者まで』を『コーンヒル・マガジン』に連載しはじめたとたん、保守陣営からものすごい非難を浴びて連載を打ち切られ、蛇蝎のごとく嫌われ、(経済学に倫理問題を持ち込んだことが主因で)経済学のど素人と嘲笑されながら、20年後の1880年代には、(おなじく経済学に倫理問題をぶつける議論がポイントになって)ニュー・リベラル派のみならず社会主義陣営から新時代の哲学者として称揚され、労働党の前身の独立労働党結成(1893年)の影響源ともなったジョン・ラスキン。その倫理的な社会思想が同時代にいかに反撥を受け、またいかに広く浸透したかを検証した本。類書は他にもあるけれども、奇をてらわない平明な文体が私の好みなので、このリストに加えておく。

この日のコックラムさんのお話は、「有機的(organic)」「有機性(organicism)」という語の(もっぱらポジティヴな)使用がちょっとナイーヴかなというきらいがあるものの(まあ、RuskinianやMorrisianにありがちで、私も人のことは言えない)、社会問題についての"moral solution"と"practical solution"とを結合するラスキンの視点をナイーヴなものとみなさない議論が、いまの時勢で特に意義のあることと思えた。
 会場になったゴシックの教会プライアリー・チャーチ・オヴ・セント・バーソロミュー・ザ・グレイト(Priory Church of St Bartholomew the Great)は初めて訪問した。

 これはロンドンに現存する教会建築のなかでも最古の部類に属するもの。聖アウグスティノ修道会のプライアリー(小修道院)として、隣接する聖バーソロミュー病院とともに、1123年にラヒア(Rahere)によって創設された。ファサードの燧石(flintつまり火打石)の使用がおもしろい。小修道院としては1540年代に(修道院解散にともない)身廊などが壊されたが、本堂と袖廊の交差部や聖歌隊席などは残され、1666年のロンドン大火での焼失も免れ、教区教会として使われてきた。

 ラスキンとの縁もあって、彼の曽祖父(おなじくジョン・ラスキンといった)はここの教区牧師だった。ここを会場にしたのはそのつながりがあってのこと。同教会のマーティン・ダドリー師が、講演に先立って、ラスキン家とこの教会の因縁について解説をしてくれた。『恋に落ちたシェイクスピア』ほか、映画やTVの時代劇などでよくロケ地として使われるとのこと。一般の観光ルートからは外れている場所で、ここはちょっとした穴場だといえる。