時間旅行が心の傷を埋めてゆく

変わらず学務の日々。土日も入試関連の業務で二日連続で出勤。
それはさておき、先日見た映画『きみがぼくを見つけた日』が心に残ったので、それをネタに久々書こうと思ったら、ちょうどhidexi氏がブログに取り上げておられる。これ、とてもよい評です。私の書くことはなくなってしまった。

原作は以下の本。

The Time Traveler's Wife

The Time Traveler's Wife

第一章(First Date, One)の書き出しはシカゴのニューベリー図書館からはじまる。20歳のクレアがそこを訪れたのは「ケルムスコット・プレスの『チョーサー』」のリサーチのため。貴重書の部屋に行って、その本を借り出すために請求表を記入する。

でも私はケルムスコットの用紙作りについても読みたかった。蔵書目録は混乱している。デスクに戻って聞いてみることにする。探しているものをその女性に説明するとき、彼女は私の肩越しに、通りかかった職員に目をやって、『デタンブルさん、ちょっといいかしら?』と頼む。私は説明をくりかえさなくてはと思って、ふりかえる。すると、目の前にいるのは、ヘンリー。

ここが主人公二人が「正式」に出会う場面。小説の書き出しに図書館が使われる例としては、バイアットの『抱擁』(Possession)のロンドン・ライブラリーが思い起こされる。そこでは、ヴィクトリア朝のある著名詩人を研究する青年が、詩人の旧蔵書(ヴィーコの『新しい学』))を閲覧していて、ページのなかに思いがけず100年前の恋文を発見するというエピソードから話が動き出すのだった。ニッフェンガーの『時の旅人の妻』では、これまた由緒ある(またロンドン・ライブラリーよりも公に開かれた)ニューベリー・ライブラリーを舞台にして、ウィリアム・モリスの「タイポグラフィーの冒険」、すなわち私家版印刷工房ケルムスコット・プレスの刊本のうちで最高傑作とされる『チョーサー作品集』(1896年)を小道具として、重要な出会いの場面につなげている。考えてみればモリスの『ユートピアだより』にしても、タイムトラベルものといっていいだろう。19世紀末ロンドンの中年男が主人公で、所属する社会主義団体の会合が紛糾して、ぐったりと疲れた帰宅した翌朝、目覚めてみると200年後の革命後のロンドンのなかにいる。対比(コントラスト)が主人公の基調となる心的態度で、つねに未来の時ともとの時を対照させずにはいられない。
 ニッフェネガーの小説は、「時の旅人」ヘンリーと「時の旅人の妻」クレアの語りが交互に繰り返される形で、物語が進んでいく……と、いっちょまえに紹介を始めてしまったが、じつはまだ読みかけなのであった。
 『ケルムスコット・チョーサー』については、数日前、たまたま仕事がらみで30分ほどじっくりと中身を見せてもらう機会があった。小説のなかでクレアが目をつけたように、活字や挿絵の刷りだけでなく、本文用紙に使われている手漉紙そのものも、じゅうぶん吟味に値する。