昔話

9時20分に出勤。2時限目、イギリス文化講義。ホガース、レノルズ、ターナー、コンスタブルといった画家を中心に、諷刺画、カンヴァセイション・ピース、風景画の話。昼過ぎ、事務局長らと打ち合わせ。 午後2時、急病のため今月出講が難しくなった専任教員の穴をどう埋めるかという相談のため、文学部長室で緊急会議。今年の前期はもともと震災の影響で授業数が減っているので対応が難しい。そのあと、学生に頼まれた奨学金の推薦書を書いたり、その他学務のもろもろ。9時半帰宅。
 先日、ちょっと名前が出たこともあり、宇井純さんのことを思い出す。1970年代、東大本郷の工学部の教室で自主ゼミ、「公害原論」を主宰しておられた。70年代半ばだったろうか、会の最中に、見るからに場違いと思われる背広を来た初老の男性が、突然発言を求めて、「東大の研究会なのに、なぜこのような偏向した話をしているのか」と異議申し立てをした。とても憤っている。スタッフの一人が、「東大の研究会といっても、東大の人はそんなにいないのですが。」というと、その発言者は、「卒業生として、この会に出たのは間違いだった」などと述べ、このゼミそのものを全面否定するような言辞を残して退席した。なぜこの会に入ってきたのだろうかと不思議に思い、その発言ぶりと、退場の仕方が、たいへん滑稽に思えたが、宇井さんは、捨て台詞を残して出ていくその人を温和な表情で見送ったあと、何事もなかったかのように、中断した話を再開したのだった。その集会の主催者として、その暴言に何かコメントをすることもできたろうし、またそうしたら出席者のほとんどの賛同を得られたに違いないのだが、否定的な言葉(それは論理はなく、ただ感情的な非難だった)を浴びせられたことに対して、宇井さんはなにも言わなかった。偉い人だ、と心中で感心したのを、これも30数年ぶりで思い出した。