イギリス祭1951回顧

 9月3日(土)サウス・ケンジントンのヴィクトリア・アンド・アルバートミュージアムへ。Inside Outing: Festival of Britainというイヴェントに参加。1951年にイギリス各地で開催されたイギリス祭(Festival of Britain)から60年、それを記念しての講座。20数名が参加。前半はまず館内のセミナールームで研究者の概説(Dr Harriet Atkinson, "'A Constellation of Events': The Nationwide Festival of Britain"がスライド付きであり、コーヒーブレイクのあと、V&Aと英国建築家協会(RIBA)のアーカイヴが所蔵するイギリス祭関係の貴重資料の現物を解説付きで吟味。数日前に校了となった『愛と戦いのイギリス文化史 1951-2010年』(慶応義塾大学出版会)の序章を私はこのイギリス祭のことから書き出したのだった。それで1年前はこれに関わる資料を入手して基本的なことは調べているのだが、メイン会場となったサウスバンクのラフプランや「発見のドーム」、「スカイロン」などのプランの現物を見せられて、その文化史的な意義を再確認した。ブルータリズムの建築家ゴールドフィンガーによるキオスクのデザインなどというのもあった。サウスバンクが特に有名だが、ここだけでフェスティヴァルがなされたわけではなく(そう誤解する向きもあるが)、イギリス全国津々浦々でさまざまなイヴェントが繰り広げられたため、その関連資料、リーフレット、パンフレットなども膨大な量にのぼる。セミナー室に展示してあったグラスゴーの「産業の力――石炭と水」(Industrial Power: Coal and Water)と題する産業展覧会のカタログを手に取ってみると、その「力」とは「電力」が第一義であるのだが、「未来の力」のコーナーは原子力の可能性が言及されており、ラザフォードの功績を紹介しつつ、「核分裂は人類の絶滅を招く危険もあるのと同時に、人類の最大限の繁栄をもたらす可能性もあります」としつつ、「原子力の平和的な利用」をどちらかといえば楽観的に述べている。「未来の力」を象徴する円錐形のオブジェの頂点には、火山の噴火のように炎が噴きあがっている。
 昼休みをはさんで、一行はサウスバンクのロイヤル・フェスティヴァル・ホールに再度集まり、イギリス祭主会場の名残を見るツアーとなった。フェスティヴァルは当時政権を担っていた労働党が主導でなされたのだたが、会期終了直後の総選挙で政権交代があり、パヴィリオン群は直後にチャーチル保守党政権によってほとんど解体されてしまった。いま残っている当時の建物はフェスティヴァル・ホールぐらいのものだが、これにしても1960年代にファサードなど増築されて、当時のままというわけではない。それで解説を努めてくれたV&A学芸員が「ほとんど跡形もないのを見せてどうするのかと同僚に揶揄されまして…」などと自嘲気味にツアーを始めたのだった。会期終了後の10数年間、跡地はそのまま殺風景な状態で放置され、1960年代に入ってオフィスや駐車場に使われた。1977年に、エリザベス女王の即位25周年を記念して公園(ジュビリー・ガーデンズ)として整備された。そして1999年にそこに建てられたのが大観覧車ロンドン・アイだった。土曜日ということもあり、サウスバンクは盛況で、好天のなか、カフェ、レストランは満員、大道芸人のパフォーマンスを見学する人びと、子どもたちは回転木馬や噴水での水遊びに打ち興じている。テムズの対岸、右前方には国会議事堂が見渡せる。サウスバンクではイギリス祭60周年のもろもろのイヴェントがなされている。フェスティヴァル・ホールの正面近くのブースには世界各地から「政治的自由」をテーマにした詩が集められて掲示され、その朗読が流れている。フェスティヴァル・ホール館内でのレクチャーを聴き、最後に同館の一室で行われているイギリス祭回顧展「1951年のミュージアム」を見学してイヴェントは終了した。