レッド・ハウス

 レッド・ハウスへの小ツアー。いまロンドンにいる院生、OG、合わせて5人、ノース・グリニッジに集合し、路線バスでベクスリー・ヒースまで。バス停から徒歩5分ほどで目当ての家へ。

1860年ウィリアム・モリス26歳のときにフィリップ・ウェッブの設計で建てられた家で、わずか5年住んだだけでモリスはロンドン中心部に転居してしまうのだが、ここでモリス商会の装飾芸術の実践が始まったという意味で、アーツ・アンド・クラフツ運動の歴史のなかに重要なモメントとして刻まれている。私自身はホランビー氏が住んでいた時分から何度か見学させてもらっていて、ナショナル・トラストの管轄になってからは3度目だが、訪れるたびに調査が徐々にではあるが進められていて、2階ドローイング・ルームの現在の壁面のなかにオリジナルの装飾模様があるのは初めて見た。
 これまではこの家を訪れるのにチャリング・クロスから鉄道で最寄り駅まで行くのが常だったのだが、通常の乗合バスで1時間近くかけて行く道筋は、ロンドンからケント州の丘陵地への高低差がよく確認できるというメリットがあることがわかった。ロンドンで一番高所のシューターズ・ヒル(高いといっても130メートル程度だが)も通り、ときどきロンドン中心部が俯瞰できる。
 レッド・ハウスをモリスは「芸術の宮殿」にしようとし、親友のバーン=ジョーンズ夫妻がここに家を建て増す計画もあった。現状でT字型のプランだが、建て増しによって中庭を囲む四辺形(クワドラングル)にする意図だった。だがバーン=ジョーンズ夫人の病気があり、また装飾工房をロンドン、ブルームズベリー地区のクイーン・スクエアを拠点に始めてそれが忙しくなったモリスは、レッド・ハウスからの長時間の通勤が苦となり、1865年、工房のある建物に転居、住まないままで家を維持する余裕もなくなり、結局売却することになった。その後モリスは一度もこの家を再訪することはなかった。