イギリス文化史教科書「まとめの会」など

12月2日(金)2時限目大学院のイギリス文化講義。モリス商会設立の前段階。20歳代前半、ストリートの建築事務所への就職、バーン=ジョーンズとの共同生活、ロセッティに促されての画家修業、結婚、そして装飾デザイナーの道へというおそらく挫折も伴う自己形成の道。昼休み中院生との面談。3時限目、卒論ゼミ。ゼミ内での第一次締め切り。12人分の英語論文草稿を受け取る。10日後に個人面談をして返却することを約束したものの、約7500語×12をこの期間に全部目を通して戻すのはかなり過酷。事務打ち合わせ数件。夕刻、入学課職員との忘年会(忘年会の第一弾)。池袋東口近くの「ラピュタ〜空の頂〜」という店にて。どう見てもジブリとは無関係。

12月3日(土)午後2時より5時まで、慶應義塾大学三田校舎にて、イギリス文化史教科書研究会「まとめの会」。『愛と戦いのイギリス文化史1951-2010年』を9月に刊行し、2か月半がたった。刊行前に編者の会議は何度もしたが、全体会としては昨年の9月以来となった。前半で今年度後期からさっそく教科書として使っている私と大貫隆史さんの実践報告、後半で三浦玲一さんからコメントをいただき、それをもとに討議。三浦さんは本書を丁寧に読まれたうえで、とても鮮鋭なコメントをくださった。たとえば終章で私はブリットポップによる60年代イギリスロックからの「既視感を覚えさせる」借用にふれたが、ニュー・レイバーのブレアが推進したロールアウト型新自由主義における労働(者階級)の隠蔽という指向をブリットポップ(およびクールブリタニアクリエイティヴ産業の産物)がメタフォリックに表象しているという示唆は、拙文の言い足りぬ部分を補っていただいたように思う。
 教科書作りの準備段階でニューレフト運動の評価が研究会で重要度の高いトピックとみなされていたのに出来上がった教科書でそれはどこに行った? という質問、というか掘り下げが足りない(決着をつけるべきだった)というご指摘はそのとおりかもしれない。ラスキンに学んで1880年代に「芸術とは労働における喜びの表現である」と言ったモリスの芸術=労働観は、労働者がテイラーシステムのもとで「機械」のように働くのでなく柔軟で「人間」的な対応を求められるポストフォーディズムの労働倫理として、体よく横領されてしまったのだろうか。第二次大戦後、E・P・トムスンやR・ウィリアムズが福祉国家体制のなかで社会主義運動の新たな理論構築をめざし、イギリスの労働者階級に内在する(と信じた)革命的伝統の再発見を呼びかけ、その運動原理の模索のために先駆者の一人としてモリスを呼び出したことは、結局イギリスという「縮みゆく島」の先行きへの不安の反映、帝国の過去への憧憬として片付けられてしまい、その系譜に積極的な可能性はもはや見出せないのだろうか。――いや、そうではないと言いたいが、その掘り下げはたしかに十分にできていない。今後の重要課題だということを再確認させてもらった。モリス論、まとめなければいけない。
 夕刻、三田の中国飯店にて出版記念の会。慶應仲通りの「まんまや」で二次会。さらに後に残った元気者もいたようだが、出版会から頂戴したお花をなくさないように気を付けて、日付の変わる前に帰宅。

12月4日(日)終日自宅。10日のシンポジウムの準備など。お昼時にテレビをつけると福岡マラソンのテレビ中継、20キロ付近から見はじめて、「公務員ランナー」川内選手の走りっぷりと(たいそう苦しげでありながらどこか目に快楽が浮かんでいるようでもある)表情に目が離せなくなり、最後まで見入ってしまう。本日がさらなるブレイクの転機と見た。マスコミの手にかかってつぶされませんように。