YBAの時代

12月5日(月)午前中歯医者。午後から学務。

12月6日(火)2時限目イギリス文化講義。「ヤング・ブリティッシュ・アーティストの時代」。パワポ資料、いつも以上に多く、デミアン・ハースト、クリス・オフィリ、マーカス・ハーヴィー、サラ・ルーカス、ロン・ミュエック、トレイシー・エミンらの「センセーショナル」な作品の画像など、50枚以上見せながら話す。私が遅ればせながら初めてYBA作品をまとめて見たのはたしか2004年で、ロンドン、サウスバンクの旧カウンシルホールにサーチ・ギャラリーが入っていた時だった。会場を見て回って、ハーストの《生者の心における死の物理的不可能性》(サメの全身のホルマリン漬け、1990年)、《讃美歌》(巨大な人体模型、1996年)、ジェイク&デイノス・チャップマンの《昇華されないリビドーモデルとしての接合子の増殖》(1995年)などを見て、自分の脳のふだん使っていない部分をさっと撫ぜられてぞわぞわっとするような、不思議な感覚を覚えたのだった。スライドで絵解きをしつつその感覚をある程度共有してもらうことにつとめてから、チャールズ・サーチの本業である広告ビジネス(サーチ&サーチ社は1979年に保守党のためにLabour Isn't Workingという卓抜なキャッチコピーを出してサッチャーの政権獲得に寄与した)とモダンアートの親和性(サッチャリズムとの共犯関係)を指摘し、その上で、YBAの「おぞましさ」のなかに、新自由主義との「結託」といった次元を超える、別種の「自由」の可能性が潜んでいないか考えてもらう。最後に教科書で触れられなかった「メメント・モリ」のモチーフのYBA的変奏について付言。


これは彫刻家ミュエックの代表作『デッド・ダッド(死んだお父さん)』(1997年)。彫刻といっても伝統的な技法でなく、主要な素材はシリコン。ミュエック自身の父親の亡骸を毛の1本1本までリアルに再現している。超リアルな像でありながら唯一サイズだけが縮小されて異化効果を持つ。この画像では左にいる鑑賞者は大人だが、私が7年前に見た際、5,6歳の小さな子どもたちがかがみこみながらこの像に真剣に見入っていた光景を覚えている。
3時〜4時半、理事会、5時〜7時、学園綜合計画委員会。