年末に西方へ

クリスマスシーズンに九州へ、4日間、天草、肥後の国をまわる。空路で羽田から熊本空港へ、車を借りて天草の上島に入って南下、キリシタン弾圧に関わる史跡を訪ね、牛深港からフェリーで鹿児島県の蔵乃元港へ、海岸線沿いに北上して水俣へ、その後熊本経由で湯布院へ、大分空港から帰途に。



 水俣市水俣病資料館からの眺め

 旅から戻って石牟礼道子苦海浄土』を再読。
 第1章の終わり近く、昭和40年2月7日、水俣病40人目の死者荒木辰夫さんの葬列の情景を描いたくだり、著者は古代中国の呂太后(りょたいごう)による戚夫人への所業を想起する。「手足を斬りおとし、眼球をくりぬき、耳をそぎとり、オシになる薬を飲ませ、人間豚と名付けて便壺にとじこめ、ついに息の根をとめられた、という戚夫人の姿を。」それに続く段落ひとつ、引用させてもらう。

 水俣病の死者たちの大部分が、紀元前二世紀末の漢の、まるで戚夫人が受けたと同じ経緯をたどって、いわれなき非業の死を遂げ、生きのこっているではないか。呂太后をもひとつの人格として人間の歴史が記録しているならば、僻村といえども、われわれの風土や、そこに生きる生命の根源に対して加えられた、そしてなお加えられつつある近代産業の所業はどのような人格としてとらえられねばならないか。独占資本のあくなき搾取のひとつの形態といえば、こと足りてしまうか知れぬが、私の故郷にいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の言語と心得ている私は、私のアニミズムとプレアニミズムを調合して、近代への呪術師とならねばならぬ。

 石牟礼さんは今年の夏にNHKの『クローズアップ現代』に出ておられた(「水俣病“真の救済”はあるのか―石牟礼道子が語る」2012年7月25日放映)。いま現在、以下にアップされている。
http://www.dailymotion.com/video/xsg82v_2012y7y-yyyyyyyyyy_news
まだの方、必見です、これはぜひご覧ください。