スポーツ精神

 ロシア・サッカーの名門ディナモ・モスクワが英国に遠征したのは第二次世界大戦終結後まもない1945年秋のことだった。UEFA欧州サッカー連盟)設立の9年前で、英国では海外のクラブとの対戦は親善試合でさえも珍しく、開催された4試合とも満員の大観衆を集めた。対戦相手と結果は(試合順でいうと)チェルシーと3-3のドロー、カーディフ・シティに10-1の大勝、アーセナルに4-3で勝利、グラスゴー・レンジャーズと2-2のドローだった。対戦前の予想ではサッカーの「母国」の名門クラブと共産国の「アマチュア」クラブとでは比較にならないだろうといった、強気というか楽観的な記事が散見されたが、ソ連リーグでこの年優勝を遂げたディナモは、華麗なパスサッカーと流動的なポジションチェンジの戦術を駆使し、一敗もすることなくモスクワに凱旋帰国した。英国サッカー界は面目をつぶした。
 それからまもなく、作家のジョージ・オーウェルが「スポーツ精神」(The Sporting Spirit)というエッセイを『トリビューン』紙に寄稿した(1945年12月14日号)。冒頭にこうある。

 ディナモフットボールチームの短い訪問が終わったので、ディナモがやってくる前に多くの思慮深い人びとが内輪で話していたことを公表してもよかろう。すなわち、スポーツというのは必ず敵意のもとになるということ、今回のような訪問が英ソ関係に何らかの影響をおよぼすとしたら、以前よりもいささか悪化させることにしかならない、ということだ。

 オーウェル自身は観戦しなかったようだが、右の見解を裏付けるのに、アーセナル戦では乱闘があって審判がブーイングを受けたこと、グラスゴーでは最初からつかみ合いの乱闘だったという伝聞を記す。じっさい、前者の試合は濃霧で視界がきかず中止にしたほうがよい状況だったのをソ連の審判(ディナモ側の要求でこのゲームはソ連の主審が笛を吹いた)の判断で決行、ラフプレーでアーセナルの選手が退場処分を受けたのだが、霧に紛れて退場せずしばらくプレイしつづけたとか、およそ20分間ディナモ側がピッチ上に12人いたとか(途中交代の行き違いだったと説明されるが)、はたまたソ連の主審が英国人副審二人を片側のサイドに配置して別サイドを自分で兼任した(そうすることでオフサイドを黙認してディナモの勝利を演出した)とか、冗談のような挿話が残っている。
 オーウェルはつづけて「いかにもこのナショナリズムの時代らしく、アーセナルがロシア人の主張するようにイングランド代表チームだったのか、あるいは英国人の主張するようにクラブチームにすぎなかったのか……例によってだれもが自分の政治的先入観に従って答えを出している」という。これも補注を入れるなら、この時期は従軍した選手がまだ全員復員しておらず、チェルシーアーセナルも戦力不足を補うために急遽他のクラブから何人か助っ人を確保して対戦した。アーセナルブラックプールからスタン・モーテンセンストーク・シティからスタンリー・マシューズを呼んだ。それでこれはクラブチームでなくてイングランド代表ではないかという見方が出たわけだが、じつはディナモのほうもこの年ソ連リーグの得点王となったフセヴォロド・ボブロフをCDKAモスクワ(現CSKAモスクワ)から借り受けて出場させていたので、混成チームであるのは同様だった。
 ともかくディナモの遠征は、何らかの結果をもたらしたとするなら、双方に「新たな憎悪」を生み出したというのがオーウェルの見解だ。

それも当然のことだ。スポーツは諸国民のあいだに友好の念を生むとか、各国の庶民がサッカーやクリケットをやれば戦場で相まみえる気がなくなるだろう、などと人が言うのを聞くと、わたしはいつも呆れかえってしまう。……国際的なレヴェルではスポーツはまぎれもなく疑似戦争なのである。

 「スポーツ精神」というタイトルからしてそうだが、これはいかにもオーウェルらしい挑発的なエッセイで、思惑どおりというべきか、直後に読者から怒りを含む反論の投書が寄せられ、しばし同紙で論争がつづいた。
 わたし自身、40年来サッカーに格別の愛着をいだいてきた者として、「スポーツ精神」のこのひたすら否定的な定義に若干の戸惑いを覚えるのはたしかだ。それでも、近代スポーツとナショナリズムとの密接な関係を考えてみるなら、国威高揚、ショーヴィニズムの鼓舞、あるいは支配者による国民の馴致などのためにスポーツが利用されてきた事例は枚挙にいとまがないわけであり、そうした歴史を顧みずに「スポーツ精神」を無条件に理想化するのは無邪気にすぎる。その点でオーウェルの近代スポーツ観は一種の解毒剤として有用であると思う。
 スポーツを語る言葉に戦争の比喩が多用されることは「疑似戦争」としてのスポーツという位置づけを裏書きする。「アジアの大砲」だとか「アジアの核弾頭」といった表現がサッカージャーナリズムで頻出するようになったのはいつごろだったか。今回の〔2014年ブラジル〕ワールドカップの準々決勝、ブラジル対コロンビア戦の前日にネイマールはインタビューに答えて、「また戦争のような試合になる。それでも勝つのはブラジルだ」と言い切った(『日刊スポーツ』2014年7月4日付)。たしかに戦争のようになって、今大会最大の華は散った*1
 その数日前、決勝トーナメントのたけなわに、日本では戦争に一歩踏み出す方向に舵が切られた*2。「スポーツ精神」が発揮されて、と言うべきだろうか。
(en-taxi vol.42 Summer 2014より転載。一部語句修正)


*以下はディナモ・モスクワの英国遠征と対アーセナル戦を伝える当時のニュース映画
www.youtube.com

*1:ネイマールは試合終了間際にコロンビア選手の悪質なファールによって腰椎を骨折、ブラジルは準々決勝を勝ち抜いたものの、ネイマールを欠く準決勝(2014年7月8日)でドイツに1-7と大敗した。この敗戦は競技場=フィールド(「戦場」というべきか)の名にちなんで「ミネイロンの惨劇」と称される。

*2:2014年7月1日、安倍自公政権は従来の政府の憲法解釈を覆し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をおこなった。