“Kennels Supplied”

 2021年の正月早々、ジョージ・オーウェル(1903-50)の『動物農場』が話題になった。『朝日新聞』元旦朝刊の「天声人語」で取り上げられたことによる。その記事の趣旨とは全然関係がないのだが、この機会に『動物農場』について思い出したことがあったので、以下にそれについて書いてみたい。

 『動物農場』の英語オリジナル版は1945年に刊行された。1947年刊行のウクライナ語版に寄せた序文でオーウェルは「〔1937年に〕スペインからもどったわたしは、ほとんどだれにでも簡単に理解できて、他国語に簡単に翻訳できるような物語のかたちでソヴィエト神話を暴露することを考えた」と執筆の動機を打ち明けている。

 ここの「他国語に簡単に翻訳できるような物語」という文言はじつは曲者であるということを、かつて『動物農場』の日本語訳を手がけたひとりとしてまず言っておきたい。たしかに『一九八四年』と比べれば英語はずっと簡明、なにしろ副題にあるように「おとぎばなし」の書法で書かれているので、英語母語話者なら十歳を過ぎればそれなりに味読できるのではないかと思う。しかし豚や馬やロバといった家畜の生態と英語圏での動物のフォークロアを案配してのキャラクター造形に関わる描写を過不足なく他国語に翻訳するのは意外に難しい。これについては拙著『オーウェルマザー・グース*1で論じたことなので繰り返さない。以下に記すのはそこで取り上げなかった細部の解釈とその訳文についてである。

 物語の第9章で農場随一の勤勉な働き手である牡の輓馬ボクサーが病に倒れ、独裁者と化した豚ナポレオンの指令によって、馬肉処理業者に売りさばかれ、命を奪われることになる。豚以外の家畜たちにはボクサーは治療のために町の病院に運ばれるのだと宣伝係の豚のスクイーラーによって虚偽の説明がなされる。人間の御者が運転する箱形馬車(ヴァン)が農場の広場に来てボクサーを中に入れて出発しようとした際に、ボクサーの親友であるロバのベンジャミンがその嘘に気付き、家畜たちに助けを求める。ボクサーが病院に運ばれると信じ込んでいる家畜たちは「さようなら、ボクサー!」「元気でね!」と言うのに対して、ベンジャミンが「このぼんくらどもが! あの馬車のよこに書いてある文字が見えないのか?」と言ってその文言を読んでやることによって、初めて動物たちは(また読者も)その場で事態を理解する。そのくだりの原文と翻訳(拙訳)を以下に引用する。ただし英語の下線部分についてはひとつのクイズとして、とりあえず訳文を示さず空欄としておき、これを読んでいただいているみなさんにどういう意味なのか考えていただきたい。こんな具合に英文解釈問題風にしてみようか。 

以下の英文の下線部分を和訳しなさい。下線部分以外の英文は和訳を付しておきます。

‘“Alfred Simmonds, Horse Slaughterer and Glue Boiler, Willingdon. Dealer in Hides and Bone-Meal, Kennels Supplied.” Do you not understand what that means? They are taking Boxer to the knacker’s!’

「『アルフレッド・シモンズ、馬肉処理業、膠製造、ウィリンドン。皮革、骨粉商。       』どういう意味かわからんのか? やつらはボクサーを馬肉売りにつれて行くんだぞ!」

 

 ベンジャミンがそう言った瞬間に御者が馬に鞭を当て馬車は出発、動物たちが慌ててそれを引き留めようとするが、もはや間に合わず、彼らにとってそれがボクサーの見納めとなる。

 上掲の引用部分のなかの“Kennels Supplied”が、以下に見るように『動物農場』の英語原文のなかでいちばんの躓きの石である。単語じたいは難しくない。Kennelsは名詞kennel(犬小屋)の複数形、Suppliedは動詞supply(供給する)の過去分詞である。しかし歴代の『動物農場』の日本語訳を見ると、この箇所で足を取られてしまった訳者が少なくない。というか、どちらかというとそのほうが多い。

 現時点で『動物農場』は4種の翻訳が文庫本に入っている。それぞれがこの2語をどう訳しているか、見比べてみよう(括弧内はルビ。以下、上記の「英文解釈問題」の解答になります)。

①「犬舎販売」(高畠文夫訳、角川文庫)

②「犬小屋あります」(開高健訳、ちくま文庫

③「犬舎(けんしゃ)用馬肉配達」(川端康雄訳、岩波文庫

④「イヌのエサ販売」(山形浩生訳、ハヤカワepi文庫)

  このうち①と②が誤訳である。いずれも“Kennels Supplied”を「犬小屋が〔顧客に〕供給される」と解してしまっているが、それは逆で、「犬小屋」(の持ち主)のほうが「顧客」なのである。原文を補うならば“Kennels [are to be] supplied [with horse meat]”(犬小屋に〔馬肉が〕供給される)ということになる。

 そもそも“the knacker’s”(廃馬処理業者、拙訳では「馬肉売り」とした)が「犬小屋を売る」というのに疑問を持つべきであるが、この箇所が落とし穴であるのは他の既訳を見ても明らかである。

⑤「犬小屋売リマス」(牧野力訳)

⑥「犬小屋商」(佐山栄太郎訳)

⑦「犬小屋販売」(新庄哲夫訳)

⑧「馬小屋の用意あり」(工藤昭雄訳)

この最後の「馬小屋の用意あり」は、廃馬処理業者の商いとして「犬小屋」を売るのはさすがに違和感があると思ってのことだろうが、kennelの意味範囲として猫のようなペットの小屋を含むことがあっても、さすがに馬は無理がある。そもそも馬小屋を用意していると断るのも変な話だ。業者は馬を連れ帰ればすぐに殺して解体処理してしまうのだろうから。*2

 ここを間違えていない(上掲の③と④以外の)訳文を以下に列挙する。

⑨「犬ノ餌(エサ)アリマス」(永島啓輔訳)

⑩「馬肉」(吉田健一訳)

⑪「犬用の馬肉販売」(大石健太郎訳)

 ⑨は1949年刊行の『動物農場』の初訳なのだが、ちゃんと原文の意味内容を外さずに訳している。⑩の「馬肉」という端的な(ある意味で愛想のない)訳文の処理は吉田健一ならではという感じで楽しい(「犬用」を抜かしているので日本人読者だと人間が食べる桜肉と取りそうではあるが)。⑪は昨年亡くなったオーウェリアンの大先輩の訳。細大漏らさず訳されている。

 “Kennels Supplied”は、廃馬処理業者の箱馬車に書かれた文言の単なる1フレーズではあるけれども、『動物農場』の第1章で長老の豚メイジャーがおこなった演説のなかの予言がほぼ的中することを伝える肝心なところでもある。メイジャーはこう言っていた。

「なあ、ボクサーよ、おまえのそのたくましい筋肉に力がなくなったら、そのとたんにジョーンズはおまえを馬肉売りに売りとばすだろう。その業者はおまえを引き裂き、煮詰めてフォックスハウンド犬のエサにしてしまうだろう。」

 ボクサーを売り飛ばすのが人間のジョーンズでなく豚のナポレオン(たち)であるところが話の展開としていっそう恐ろしいわけである。第9章の最後で豚たちはボクサーを売り払った金でウィスキーを箱買いして盛大に酒盛りをしたことがほのめかされている。

 以上、“Kennels Supplied”について『動物農場』の歴代の和訳にふれて述べた。このなかに私自身の訳(岩波文庫)を正解例として含んでいるので、不正解の訳文を単に誹る一文であるかのように受け取られてしまうのを危惧する。たまたまこの箇所については拙訳はセーフであったということで、私が他の箇所で躓いて誤訳してしまっているところがあるかもしれない。こと翻訳に関しては、とくに一見何でもなさそうな文章に落とし穴がある――これを肝に銘じて、今年もいくつか翻訳を手がけていきたい。

 

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オーウェル動物農場』の日本語訳ひとそろい(11種類、13冊)

(附記)『動物農場』日本語訳リスト(刊行順。紙媒体で刊行された文献に限る)

*1:川端康雄「『動物農場』再訪――「イングランドのけものたち」のフォークロア」『オーウェルのマザー・グース――歌の力、語りの力平凡社選書、1998年。増補版を岩波現代文庫から2021年刊行予定。

*2:石ノ森章太郎の漫画版『アニマル・ファーム』(ちくま文庫、2018年)でも箱馬車の業者名の記載のところに「ウマ小屋の用意あり」(193頁)と書いていて、工藤訳の誤訳を反復している。『アニマル・ファーム』の初出は『週刊少年マガジン』(講談社)の1970年第35号(8月23日)~第38号(9月13日)の連載。石ノ森はその時点で『動物農場』の最新の邦訳版であった工藤訳(筑摩書房版『世界文学全集46 世界名作集(二)』1969年、所収)に依拠していたことがわかる。じっさい、全編をとおして吹き出しの台詞は工藤訳を直接引用するかアレンジするかして用いているが、既訳を使ったという断り書きは見られない。石ノ森独自のアドリブも入っているのでそれが目立たないともいえる。アドリブの例をひとつ挙げると、ジョーンズら人間を追い出した直後に歓喜する動物たちの描写で、「人間をやっつけたぞーっ」と飛び跳ねる羊と並んで、二頭の豚が抱き合って「サインはブーイ」などと言っている(51頁、いまの若い読者だとこれは何がおもしろいのかわからないだろうなあ)。