小野二郎の実現されざる書籍企画より

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『新しい文学史のために』ほか目次案(個人蔵の草稿のコピー)

 わが師であった英文学者・編集者である小野二郎(1929-82)の命日は4月26日、晴天の霹靂の訃報が夜中に届き、通夜、葬儀までのきわめて非日常的な数日間が(二十歳代だったこともあり)記憶に深く刻まれていて、この大型連休の頃ともなるとそのときの諸々のことが思わぬディテールを伴って突然よみがえり、しばし茫然とした思いにとらわれる。1982年4月26日は今年と同様に月曜日だった。

 世田谷美術館での特別展「ある編集者のユートピア 小野二郎ウィリアム・モリス晶文社、高山建築学校」は2019年春に開催したのでもう2年が経つ。「学術協力者」としてお手伝いしたその展覧会で、紹介しきれなかったなかから、「未完のプロジェクト」のひとこまとして、ある書籍企画について書いてみたい。

 上に示した写真は400字詰め原稿用紙3枚に書かれた小野二郎自筆の書籍プラン。3枚とも「出版書肆 パトリア」用の原稿用紙で、ブルーブラックインクで書かれているので、1つの叢書の(おそらく3巻本の)企画であろうかと推測される。それぞれ「新しい文学史のために」「小説の運命」「言葉と文体」というタイトルが冠せられている。このうち「新しい文学史のために」の原稿については、上記「ある編集者のユートピア」展で展示され、同図録にも資料のひとつとして図版が掲載されている(II-1-008; p. 62)。だがこれも文字起こしはされていないので、以下にこの3枚の企画(目次案)の中身を示しておく。 

 

新しい文学史のために

 

懐風藻』の詩人たち 篠田一士

世阿弥 中村真一郎

浄瑠璃 川村二郎

和泉式部論 大岡信

馬琴 丸谷才一

萩原朔太郎 田村隆一

白鳥と荷風 寺田透

三つの訳詩集(『海潮音』『月下の一群』『ギリシャ〔・ローマ〕古詩鈔』) 森亮

横光利一 中山公男

徳田秋声の一作品をめぐって 江藤淳

 

小説の運命

ピカレスク・ロマン 花田清輝

ロシア・レアリズム小説 ドストエフスキーを含む 寺田透

アンチロマン 菅野昭正

小説の衰滅 竹内芳郎

イギリス小説の魅力 永川玲二

プルースト以後 原田義人

教養小説論 中山公男

フランス心理小説論 福永武彦

アレゴリー小説論 イデオローグ小説を含む 佐伯彰一

アメリカ小説論 宮本陽吉

短編小説論 〔執筆者名なし〕

 

言葉と文体

言語(原)論 寺田透

言語的世界 若林眞

意味とは何か 永川玲二

文体について 吉田健一

言語・文体・個性 篠田一士

翻訳文学と日本語 安東次男

現代日本語の混乱 山本健吉

音楽と言葉(オペラの問題) 吉田秀和

現代日本の詩と言葉 加藤周一

現代日本のドラマと言葉 浅利慶太

 

 個別のタイトルでそれぞれの著者が手掛けているトピック、テーマはあるかと思うが、上記3冊の企画は私の知るかぎりでは陽の目を見なかったはずである。弘文堂時代(1958年4月から2年間)の小野の仕事のなかで計画倒れに終わったものとして『講座 戦後芸術運動史』全5巻の企画が知られているが、この文学史叢書(?)の企画も、ラインナップを見ただけで、実らなかったのは実に惜しいと思う。

 ただし、弘文堂で出そうとしたものであったかどうかは推測の域を出ない。原稿用紙が「出版書肆 パトリア」用であることは上述した。書肆パトリア丸元淑生(まるもと・よしお 1934-2008年)が東大在学中(おそらく1956年)に立ち上げて数年間続いた出版社で、そこの原稿用紙を使っているのは、パトリアから原稿依頼を受けてもらったのを転用したということか(同社の出版物に小野が寄稿したものを私は知らないのだが)、または丸元から叢書の企画を依頼されて、それでこれを使ったという可能性も無ではない。あるいは1960年2月に盟友中村勝哉と立ち上げた晶文社の最初期の企画として練ったが実現できなかった、ということも考えられる。まあ断言はできないが、おそらく弘文堂時代に書かれたものであろう。ドイツ文学者の原田義人の名が含まれているが、原田は1960年8月に亡くなっているので、それより後のものではないはずである。

 3冊のすべてで寺田透に書かせようとしている(ひとつは当初平井啓之の名を書いているのを寺田に直している)のには小野の当時の寺田への傾倒ぶりがうかがえる。年長の山本健吉花田清輝吉田健一ら(花田と吉田を並べるところも小野らしい)に、中村真一郎加藤周一福永武彦という「マチネ・ポエティク」の面々を入れ、(当時)新進気鋭の江藤淳篠田一士丸谷才一大岡信、菅野昭正、永川玲二らを配している(浅利慶太の名も見える)。脳内に独特なアンテナを張りめぐらせ、才能のある書き手にいち早く注目し、積極的に執筆させようとする、やはり編集者として(も)小野はただ者ではなかったのだと、これらの目次案を見ただけでも実感される。繰り返しになるが、この3冊、読みたかった。