時はすべての傷を癒す、のだろうか

 午前3時代の地震はかなりの揺れだった。TVで震源地など確認してから寝なおし8時起き。10時に家を出て1日遅れで信州へ。昼過ぎに望羊荘へ。曇り時々雨。気温低め。
 仕事がてら、ブラーの昨年のドキュメンタリーをDVDで初めて見る。

 

 2009年の再結成を機に彼らの歴史を過去と現在を織り交ぜながら記録したもの。タイトルのNo Distance Left to Runは1999年のアルバム『13』に収録された痛々しい別離を歌った曲から。
 グレアム・コクソンが他の3人、とくにデイモン・アルバーンと仲違いして2003年に脱退し、バンドは活動停止状態、各自別々の活動をしていたのが、2008年暮れにグレアムとデイモンの和解があって再結成。
 当然ながら1995年夏の「ブラー・オアシス対決」のエピソードも当時の記録映像を盛り込みながら取り上げられている。誰の発案か不明のようだが、当時の英国で2大ビッグバンドだった両者の新作シングル盤の発売日を同じ日にして、どちらが多く売り上げるかを競う、ヒットチャートの決戦となった。「バトル・オヴ・ブリテン」(1940年の英空軍とドイツ空軍の英国上空での戦闘)をもじって、「バトル・オヴ・ブリットポップ」などと称されて、メディアで大騒ぎになった。売り上げではブラーが勝ったが、単なるバンド間の対立の次元を超えて、出身地(イングランド北部と南部)、階級(労働者階級と中流階級)の一般的な対立に見立てられ、とりわけブラーにとってこの狂乱は後に尾を引いた。これがトラウマになっているらしいことは、ブリットポップのドキュメンタリー『リヴ・フォーエヴァー』(2003年)でのデイモンへのインタビューでも(その話題をふられたときの痛々しい表情で)確認できるが、今回のこの映画でも、「あんなことするんじゃなかったなあ」、「あんなこと言うんじゃなかった」と後悔しまくっている。「ブリットポップなんて、あんなもん・・・ブリットもポップもくそくらえ」と呪っている。
 今度出るイギリス文化史教科書の最後のパートでは、その決戦について、ブレアのニュー・レイバーのキャンペーンと関連させて論じてみた。当人たちは忘れたい思い出であっても、時代の空気を摑むのには格好のエピソードで、これを使わない手はない。その初校ゲラを見ているところ。
 このドキュメンタリーを貫くコンセプトを端的に言えば、英語のことわざで言う"Time heals all wounds"(時はすべての傷を癒す)ということになるのだろう。不和と別離の長い期間をへて和解へ、ジャスティーン・フリッシュマンさえも遠景に置かれて、きわめてホモソーシャルな愛の物語になっている。