小野二郎の実現されざる書籍企画より
わが師であった英文学者・編集者である小野二郎(1929-82)の命日は4月26日、晴天の霹靂の訃報が夜中に届き、通夜、葬儀までのきわめて非日常的な数日間が(二十歳代だったこともあり)記憶に深く刻まれていて、この大型連休の頃ともなるとそのときの諸々のことが思わぬディテールを伴って突然よみがえり、しばし茫然とした思いにとらわれる。1982年4月26日は今年と同様に月曜日だった。
世田谷美術館での特別展「ある編集者のユートピア 小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校」は2019年春に開催したのでもう2年が経つ。「学術協力者」としてお手伝いしたその展覧会で、紹介しきれなかったなかから、「未完のプロジェクト」のひとこまとして、ある書籍企画について書いてみたい。
上に示した写真は400字詰め原稿用紙3枚に書かれた小野二郎自筆の書籍プラン。3枚とも「出版書肆 パトリア」用の原稿用紙で、ブルーブラックインクで書かれているので、1つの叢書の(おそらく3巻本の)企画であろうかと推測される。それぞれ「新しい文学史のために」「小説の運命」「言葉と文体」というタイトルが冠せられている。このうち「新しい文学史のために」の原稿については、上記「ある編集者のユートピア」展で展示され、同図録にも資料のひとつとして図版が掲載されている(II-1-008; p. 62)。だがこれも文字起こしはされていないので、以下にこの3枚の企画(目次案)の中身を示しておく。
新しい文学史のために
浄瑠璃 川村二郎
馬琴 丸谷才一
三つの訳詩集(『海潮音』『月下の一群』『ギリシャ〔・ローマ〕古詩鈔』) 森亮
横光利一 中山公男
小説の運命
アンチロマン 菅野昭正
小説の衰滅 竹内芳郎
イギリス小説の魅力 永川玲二
プルースト以後 原田義人
教養小説論 中山公男
フランス心理小説論 福永武彦
アメリカ小説論 宮本陽吉
短編小説論 〔執筆者名なし〕
言葉と文体
言語(原)論 寺田透
言語的世界 若林眞
意味とは何か 永川玲二
文体について 吉田健一
言語・文体・個性 篠田一士
翻訳文学と日本語 安東次男
音楽と言葉(オペラの問題) 吉田秀和
個別のタイトルでそれぞれの著者が手掛けているトピック、テーマはあるかと思うが、上記3冊の企画は私の知るかぎりでは陽の目を見なかったはずである。弘文堂時代(1958年4月から2年間)の小野の仕事のなかで計画倒れに終わったものとして『講座 戦後芸術運動史』全5巻の企画が知られているが、この文学史叢書(?)の企画も、ラインナップを見ただけで、実らなかったのは実に惜しいと思う。
ただし、弘文堂で出そうとしたものであったかどうかは推測の域を出ない。原稿用紙が「出版書肆 パトリア」用であることは上述した。書肆パトリアは丸元淑生(まるもと・よしお 1934-2008年)が東大在学中(おそらく1956年)に立ち上げて数年間続いた出版社で、そこの原稿用紙を使っているのは、パトリアから原稿依頼を受けてもらったのを転用したということか(同社の出版物に小野が寄稿したものを私は知らないのだが)、または丸元から叢書の企画を依頼されて、それでこれを使ったという可能性も無ではない。あるいは1960年2月に盟友中村勝哉と立ち上げた晶文社の最初期の企画として練ったが実現できなかった、ということも考えられる。まあ断言はできないが、おそらく弘文堂時代に書かれたものであろう。ドイツ文学者の原田義人の名が含まれているが、原田は1960年8月に亡くなっているので、それより後のものではないはずである。
3冊のすべてで寺田透に書かせようとしている(ひとつは当初平井啓之の名を書いているのを寺田に直している)のには小野の当時の寺田への傾倒ぶりがうかがえる。年長の山本健吉、花田清輝、吉田健一ら(花田と吉田を並べるところも小野らしい)に、中村真一郎、加藤周一、福永武彦という「マチネ・ポエティク」の面々を入れ、(当時)新進気鋭の江藤淳、篠田一士、丸谷才一、大岡信、菅野昭正、永川玲二らを配している(浅利慶太の名も見える)。脳内に独特なアンテナを張りめぐらせ、才能のある書き手にいち早く注目し、積極的に執筆させようとする、やはり編集者として(も)小野はただ者ではなかったのだと、これらの目次案を見ただけでも実感される。繰り返しになるが、この3冊、読みたかった。
“Kennels Supplied”
2021年の正月早々、ジョージ・オーウェル(1903-50)の『動物農場』が話題になった。『朝日新聞』元旦朝刊の「天声人語」で取り上げられたことによる。その記事の趣旨とは全然関係がないのだが、この機会に『動物農場』について思い出したことがあったので、以下にそれについて書いてみたい。
『動物農場』の英語オリジナル版は1945年に刊行された。1947年刊行のウクライナ語版に寄せた序文でオーウェルは「〔1937年に〕スペインからもどったわたしは、ほとんどだれにでも簡単に理解できて、他国語に簡単に翻訳できるような物語のかたちでソヴィエト神話を暴露することを考えた」と執筆の動機を打ち明けている。
ここの「他国語に簡単に翻訳できるような物語」という文言はじつは曲者であるということを、かつて『動物農場』の日本語訳を手がけたひとりとしてまず言っておきたい。たしかに『一九八四年』と比べれば英語はずっと簡明、なにしろ副題にあるように「おとぎばなし」の書法で書かれているので、英語母語話者なら十歳を過ぎればそれなりに味読できるのではないかと思う。しかし豚や馬やロバといった家畜の生態と英語圏での動物のフォークロアを案配してのキャラクター造形に関わる描写を過不足なく他国語に翻訳するのは意外に難しい。これについては拙著『オーウェルのマザー・グース』*1で論じたことなので繰り返さない。以下に記すのはそこで取り上げなかった細部の解釈とその訳文についてである。
物語の第9章で農場随一の勤勉な働き手である牡の輓馬ボクサーが病に倒れ、独裁者と化した豚ナポレオンの指令によって、馬肉処理業者に売りさばかれ、命を奪われることになる。豚以外の家畜たちにはボクサーは治療のために町の病院に運ばれるのだと宣伝係の豚のスクイーラーによって虚偽の説明がなされる。人間の御者が運転する箱形馬車(ヴァン)が農場の広場に来てボクサーを中に入れて出発しようとした際に、ボクサーの親友であるロバのベンジャミンがその嘘に気付き、家畜たちに助けを求める。ボクサーが病院に運ばれると信じ込んでいる家畜たちは「さようなら、ボクサー!」「元気でね!」と言うのに対して、ベンジャミンが「このぼんくらどもが! あの馬車のよこに書いてある文字が見えないのか?」と言ってその文言を読んでやることによって、初めて動物たちは(また読者も)その場で事態を理解する。そのくだりの原文と翻訳(拙訳)を以下に引用する。ただし英語の下線部分についてはひとつのクイズとして、とりあえず訳文を示さず空欄としておき、これを読んでいただいているみなさんにどういう意味なのか考えていただきたい。こんな具合に英文解釈問題風にしてみようか。
■以下の英文の下線部分を和訳しなさい。下線部分以外の英文は和訳を付しておきます。
‘“Alfred Simmonds, Horse Slaughterer and Glue Boiler, Willingdon. Dealer in Hides and Bone-Meal, Kennels Supplied.” Do you not understand what that means? They are taking Boxer to the knacker’s!’
「『アルフレッド・シモンズ、馬肉処理業、膠製造、ウィリンドン。皮革、骨粉商。 』どういう意味かわからんのか? やつらはボクサーを馬肉売りにつれて行くんだぞ!」
ベンジャミンがそう言った瞬間に御者が馬に鞭を当て馬車は出発、動物たちが慌ててそれを引き留めようとするが、もはや間に合わず、彼らにとってそれがボクサーの見納めとなる。
上掲の引用部分のなかの“Kennels Supplied”が、以下に見るように『動物農場』の英語原文のなかでいちばんの躓きの石である。単語じたいは難しくない。Kennelsは名詞kennel(犬小屋)の複数形、Suppliedは動詞supply(供給する)の過去分詞である。しかし歴代の『動物農場』の日本語訳を見ると、この箇所で足を取られてしまった訳者が少なくない。というか、どちらかというとそのほうが多い。
現時点で『動物農場』は4種の翻訳が文庫本に入っている。それぞれがこの2語をどう訳しているか、見比べてみよう(括弧内はルビ。以下、上記の「英文解釈問題」の解答になります)。
①「犬舎販売」(高畠文夫訳、角川文庫)
③「犬舎(けんしゃ)用馬肉配達」(川端康雄訳、岩波文庫)
④「イヌのエサ販売」(山形浩生訳、ハヤカワepi文庫)
このうち①と②が誤訳である。いずれも“Kennels Supplied”を「犬小屋が〔顧客に〕供給される」と解してしまっているが、それは逆で、「犬小屋」(の持ち主)のほうが「顧客」なのである。原文を補うならば“Kennels [are to be] supplied [with horse meat]”(犬小屋に〔馬肉が〕供給される)ということになる。
そもそも“the knacker’s”(廃馬処理業者、拙訳では「馬肉売り」とした)が「犬小屋を売る」というのに疑問を持つべきであるが、この箇所が落とし穴であるのは他の既訳を見ても明らかである。
⑤「犬小屋売リマス」(牧野力訳)
⑥「犬小屋商」(佐山栄太郎訳)
⑦「犬小屋販売」(新庄哲夫訳)
⑧「馬小屋の用意あり」(工藤昭雄訳)
この最後の「馬小屋の用意あり」は、廃馬処理業者の商いとして「犬小屋」を売るのはさすがに違和感があると思ってのことだろうが、kennelの意味範囲として猫のようなペットの小屋を含むことがあっても、さすがに馬は無理がある。そもそも馬小屋を用意していると断るのも変な話だ。業者は馬を連れ帰ればすぐに殺して解体処理してしまうのだろうから。*2
ここを間違えていない(上掲の③と④以外の)訳文を以下に列挙する。
⑨「犬ノ餌(エサ)アリマス」(永島啓輔訳)
⑩「馬肉」(吉田健一訳)
⑪「犬用の馬肉販売」(大石健太郎訳)
⑨は1949年刊行の『動物農場』の初訳なのだが、ちゃんと原文の意味内容を外さずに訳している。⑩の「馬肉」という端的な(ある意味で愛想のない)訳文の処理は吉田健一ならではという感じで楽しい(「犬用」を抜かしているので日本人読者だと人間が食べる桜肉と取りそうではあるが)。⑪は昨年亡くなったオーウェリアンの大先輩の訳。細大漏らさず訳されている。
“Kennels Supplied”は、廃馬処理業者の箱馬車に書かれた文言の単なる1フレーズではあるけれども、『動物農場』の第1章で長老の豚メイジャーがおこなった演説のなかの予言がほぼ的中することを伝える肝心なところでもある。メイジャーはこう言っていた。
「なあ、ボクサーよ、おまえのそのたくましい筋肉に力がなくなったら、そのとたんにジョーンズはおまえを馬肉売りに売りとばすだろう。その業者はおまえを引き裂き、煮詰めてフォックスハウンド犬のエサにしてしまうだろう。」
ボクサーを売り飛ばすのが人間のジョーンズでなく豚のナポレオン(たち)であるところが話の展開としていっそう恐ろしいわけである。第9章の最後で豚たちはボクサーを売り払った金でウィスキーを箱買いして盛大に酒盛りをしたことがほのめかされている。
以上、“Kennels Supplied”について『動物農場』の歴代の和訳にふれて述べた。このなかに私自身の訳(岩波文庫)を正解例として含んでいるので、不正解の訳文を単に誹る一文であるかのように受け取られてしまうのを危惧する。たまたまこの箇所については拙訳はセーフであったということで、私が他の箇所で躓いて誤訳してしまっているところがあるかもしれない。こと翻訳に関しては、とくに一見何でもなさそうな文章に落とし穴がある――これを肝に銘じて、今年もいくつか翻訳を手がけていきたい。
(附記)『動物農場』日本語訳リスト(刊行順。紙媒体で刊行された文献に限る)
- 『アニマル・ファーム 動物農場』永島啓輔訳、大阪教育図書、1949年。
- 『対訳オーウェル1「動物農場」』佐山栄太郎訳、1957年。
- 『動物農場』牧野力訳、国際文化研究所、1957年。
- 『動物農園』吉田健一訳、『世界の文学53 イギリス名作集 アメリカ名作集』所収、中央公論社、1966年。
- 『動物農場』工藤昭雄訳、『世界文学全集69 世界名作集(二)』所収、筑摩書房、1969年。以下に再録。『筑摩世界文學大系87 名作集Ⅱ』筑摩書房、1975年。
- 『動物農場』高畠文夫訳、角川書店(角川文庫)、1972年。
- 『動物農場』新庄哲夫訳、『世界文学全集46 世界中短編名作集』学習研究社、1979年。
- 『動物農場――おとぎ話』開高健訳、開高健『今日は昨日の明日――ジョージ・オーウェルをめぐって』所収、筑摩書房、1984年。以下に再録。『動物農場』開高健訳、筑摩書房(ちくま文庫)、2013年。
- 『動物農場――おとぎばなし』川端康雄訳、岩波書店(岩波文庫)、2009年。
- 『対訳 動物農園』大石健太郎訳、一藝社、2010年。
- 『動物農場[新訳版]』山形浩生訳、早川書房(ハヤカワepi文庫)、2017年。
*1:川端康雄「『動物農場』再訪――「イングランドのけものたち」のフォークロア」『オーウェルのマザー・グース――歌の力、語りの力』平凡社選書、1998年。増補版を岩波現代文庫から2021年刊行予定。
*2:石ノ森章太郎の漫画版『アニマル・ファーム』(ちくま文庫、2018年)でも箱馬車の業者名の記載のところに「ウマ小屋の用意あり」(193頁)と書いていて、工藤訳の誤訳を反復している。『アニマル・ファーム』の初出は『週刊少年マガジン』(講談社)の1970年第35号(8月23日)~第38号(9月13日)の連載。石ノ森はその時点で『動物農場』の最新の邦訳版であった工藤訳(筑摩書房版『世界文学全集46 世界名作集(二)』1969年、所収)に依拠していたことがわかる。じっさい、全編をとおして吹き出しの台詞は工藤訳を直接引用するかアレンジするかして用いているが、既訳を使ったという断り書きは見られない。石ノ森独自のアドリブも入っているのでそれが目立たないともいえる。アドリブの例をひとつ挙げると、ジョーンズら人間を追い出した直後に歓喜する動物たちの描写で、「人間をやっつけたぞーっ」と飛び跳ねる羊と並んで、二頭の豚が抱き合って「サインはブーイ」などと言っている(51頁、いまの若い読者だとこれは何がおもしろいのかわからないだろうなあ)。
verum factum est 真なるものはつくられたもの
書き出しで一気につかまえられる本というのがある。初めだけよければいいというものではなく、尻切れとんぼで失望させられることもままあるが、小説であれ、批評作品であれ、読み出したとたんに著者の術中にはまって途中でやめられなくなる名著がある。若い時分に読んだ類はとりわけそのインパクトが永続的で、わたし自身の学生時代の読書体験でいまでもありありと思い起こされる評論・研究書を二、三挙げるなら、エーリッヒ・アウエルバッハ著『ミメーシス』(1946年)での「オデュッセウスの傷痕」の挿話の導入部(これは筑摩叢書版の篠田・川村訳で読んだ)、フランシス・イェイツ著『記憶術』(1966年)で詩人シモニデスがカストルとポルックスの加護によって災害から逃れたことで場所(トポス)とイメージを基礎とする記憶術の創始者となったいきさつを語った魅惑的なプロローグ、そしてもうひとつが、若干ここで立ち入ってみたいエドマンド・ウィルソン著『フィンランド駅へ』(1940年)で、フランスの歴史家ジュール・ミシュレがナポリの未知の思想家ジャンバッティスタ・ヴィーコの著作を見出して知的興奮を受ける、「ミシュレ、ヴィーコを発見」の書き出し、これが忘れがたい。
最後のウィルソンの著作の冒頭部分を岡本正明訳(みすず書房、1999年)で引用するとこうである。
一八二四年一月のある日のこと、哲学と歴史を講ずるフランスの若き教授ジュール・ミシュレは、読んでいた本の訳注のなかに、たまたまジョヴァンニ・ヴィーコの名を見いだした。ヴィーコにかんする言及にたいへん興味をそそられたミシュレは、何はともあれ、さっそくイタリア語の勉強にとりかかった。
ウィルソンのこの本は西欧革命思想の理論と実践の両面での歴史的展開を書いたもので、表題は1917年4月にロシア革命の指導者レーニンを載せた封印列車がサンクト・ペテルブルグの「フィンランド駅」(フィンランドのヘルシンキ行きの列車の始発駅)に到着する場面をクライマックスとしていることにちなむ。ヴィーコに啓示を受けたミシュレから、ルナン、テーヌ、アナトール・フランスへ、そしてバブーフ、サン=シモン、フーリエ、オウエンら初期「ユートピア」社会主義者をへて、主役のマルクスが登場、エンゲルスの支援を受けてマルクスの著作がヨーロッパ各地の革命集団のなかで次第に地歩を固めるさまが記述され、最後にマルクス主義の理論を実践しロシア革命を導くトロツキーおよびレーニンの活動が語られる。
1940年刊行のこの著作にかんして、ソヴィエトが人類史上最悪の独裁国家のひとつと化していたのを見抜けなかったとして、晩年のウィルソンはもっともな反省の弁を述べているのではあるが、本書の語り口が織りなす壮大な思想史的ドラマの豊饒さは、いま読んでもいささかも損なわれてはいない。原書の副題は意味深長にもA Study in the Writing and Acting of Historyとなっている。ここで歴史を「書くこと」(writing)と「行為すること」(acting)とを一つの定冠詞で統合していることに注意したい。思想家と運動家たちが「よりよき世界」を構築するためと信じ、生涯を賭しておこなった「歴史記述」と「歴史創造」の相互的な営みをウィルソンは事物に即した簡素平明な文体をもって、ひろやかな視野のもとに描き出している。
「ミシュレ、ヴィーコを発見」のエピソードに話をもどす。19世紀初頭ではヴィーコはイタリア国外では無名であり、ラテン語の著作は別にしても、代表作『新しい学』(1725年)をミシュレが読むためにはイタリア語を学ぶしかなかった。結局ミシュレ自身の手によってそのフランス語初訳が1827年に刊行される。いったいミシュレはヴィーコのどこに惹かれたのであったか。それはヴィーコの歴史哲学の肝となる「真なるものverumはつくられたものfactumである」という原理である。蓋然的知識を排除するデカルト的自然科学の原理にヴィーコはこれをぶつけ、歴史哲学の方法論を構築した。以下は『新しい学』の有名すぎるくだりであるが、これはミシュレに対してももっとも感銘を与えた部分であろう。
はるか古(いにしえ)の原始古代を蔽っているあの濃い夜の暗闇のなかには、消えることのない永遠の光が輝いている。それは何人たりとも疑うことのできない真理の光である。すなわち、この社会は確実に人間によって造られたものであるから、その原理は我々の人間精神そのものの変化様態のなかに求めることができ、またそうでなくてはならないことである。(ヴィーコ『新しい学』第一巻331節、清水純一他訳、『中公バックス 世界の名著33 ヴィーコ』所収)
ヴィーコにとっての歴史とは、人間にたちはだかるさまざまな自然的・人的障害を克服する努力をとおして、人間および人の手になる諸制度を絶えず自己変革しようとする営為にほかならなかった。それは「人間の」活動であり、「人間による」構築物の帰結なのだから、人間によって理解しうる(逆に、自然はそのようには理解しえない)。アイザイア・バーリンが『ヴィーコとヘルダー』で指摘したように、これがヴィーコならではの独創的な人文学的学説であり、ミシュレに霊感を与え、マルクスに称賛された点なのだった。そしてここでの「人間」とは王侯貴族や武人など一握りの権力者や特権層だけを指すものではなく、むしろ市井の人びとを含み込んでいる。「ふつうの人びと」がもつ「英知」、すなわち「民の知」(la sapienza volgare)の意義を強調した点でも、後続の思想家たちに大きな影響を与えた。「下からの歴史」の系譜を探るならヴィーコにひとつの源泉があると言ってよいのだろう。
* * *
ここからまた個人的な思い出になるが、『フィンランド駅へ』をわたしが読んだのは1980年頃、ダブルデイ社のペーパーバック(「アンカー」叢書)の古書を入手して、主に通学兼通勤の中距離列車のなかでの読書だったのだが、糸綴じをろくにせず糊で済ませた粗悪な製本なものだから、読み出してまもなく背表紙がパキッと裂けてばらばらになってしまい、500ページを超える大部だったのが読み終える頃には10何冊かの分冊になっていた。『フィンランド駅へ』というタイトルを見聞きするだけで、混雑した車内で揺られながらひどい装丁の(しかし中身は傑作の)ページをたぐっていた(いや、それこそ文字どおり「読み破っていた」)ことが思い起こされる。
そうだ、さらに記憶の糸をたぐるなら、『フィンランド駅へ』を勧められたのは恩師の小野二郎(1929-82年)からなのだった。最初に挙げた『ミメーシス』も彼の比較文学講義の冒頭でレオ・シュピッツァーやクルティウスらと併せて教示されたのだし、ヴィーコとアウエルバッハの密接な関係についても注意を促してもらった。イェイツの『記憶術』にしても彼が晶文社の編集顧問として翻訳刊行に関与した『世界劇場』をまず読んでから取りかかったものなので、いずれも小野が導き手だったということになる。
明治大学駿河台校舎の旧大学院棟の四角い大テーブルを囲んだ談話室兼演習室は午後のゼミが終わるとしばしばそのまま酒席に転じることとなり、学生たちに加えて助手や他の教員(また時に編集者)も合流して談論風発の饗宴と化した。学生の身分ではふだん口にできないようなシングルモルトウィスキーやら吟醸酒やらに折々ありつく垂涎の機会でもあった。自由な雰囲気なのをいいことに、わたしをはじめ学生はずいぶん生半可なことをしゃべったものだが、小野にはそれを受けとめて返す鷹揚さがあった。愛用のブライヤーパイプをくゆらせながら楽しげに耳を傾ける別の教授の姿も思い起こされる。わたしの知るいまの大学世界を思うと隔世の感がある。本来の演習の時間に聞いたのだったか、それともある意味でより興味深い話が聞ける、くだんの「饗宴」の時間であったのか、定かでないが、小野はあるとき『フィンランド駅』について熱く語り出し、「時間があったらいつか翻訳してみたい」と言ったのである。「ミシュレ、ヴィーコを発見」の出だし自体も、もしかしたらその際に彼が語っていたのかもしれない。
ヴィーコへの小野の関心も並々ならぬものであったと記憶するが、彼の著作でヴィーコについての論考はとくに見当たらない。ただしわたしの知るかぎりで一度だけ言及がある。それはヘルベルト・マルクーゼ著『解放論の試み』(筑摩書房、1974年)の訳者あとがきのなかに出てくる。マルクーゼのこの本を「一個の芸術論として、いやむしろ、芸術運動論として読んだ」と述べたあと、小野はこうつづける。
ということは[・・・]もっと広くというか、歴史全体を人間の、民衆の想像力の造作としてつかむということの、現代の条件のなかでの試みとして読んだということである。ジャンバティスタ・ヴィコやウィリアム・モリスを思い合わすのは突飛なことであろうか。少くとも私にはそのようなものとして読まれた。
英文学研究者(というか、むしろ「文化史家」と言うべきか)としての小野が中心課題にしたのがウィリアム・モリスであったのは周知のとおり。そのモリスとヴィーコとをマルクーゼを媒介として接続している興味深いくだりである。わたしにはこの連結はけっして「突飛」なこととは思われず、たしかに小野は「歴史全体を人間の、民衆の想像力の造作としてつかむということの、現代の条件の中での試み」としてモリス研究の鍬入れをしたのだし、芸術総体を「レッサー・アーツ」の観点からとらえなおすモリス的発想を民衆の生活史の枠に押し広げたことで、「紅茶を受皿で」をはじめとするイギリス民衆文化研究の展開があった。そして芸術運動の担い手でもあった小野にとって、ヴィクトリア時代の社会矛盾を生きたモリスは「民の知」の系譜学の得がたい先人だった。この点では小野とほぼ同時代に活動した(そしてそれぞれに独自のStudy in the Writing and Acting of Historyをおこなった)E・P・トムスン、あるいはレイモンド・ウィリアムズにとってもモリスの位置づけは基本的に同質であったと思う。
このニューズレターの巻頭言を書くに際して、さて、ヴィクトリア朝文化研究の一学徒としてのわたし自身の立ち位置はどこにあるのだろうか、そもそもどういう出発点であったのだろうかとふりかえって見て、まずは学生時代の経験を思い出して書き出しているうちに、以上のような話の成り行きとなってしまった。恩師の小野二郎は多くの仕事をしながらも、いろいろなことをやり残したまま52歳の若さで急逝し、わたしはといえば、師から与えられたいろいろな課題を牛歩の歩みで解いているうちに、彼の享年をとうに超してしまった。しかも課題はまだろくに片づいていない。モリスしかり。ラスキンの山も登攀はむずかしい。アーツ・アンド・クラフツ運動と社会主義運動が交錯する1880年代イギリスの「前衛」思潮の研究も道半ば。まあ未完で終わるのは必定であろう。それでも追究するかぎりはいずれ「真なるもの」がつかめるという希望は残る。100年以上前の遠い昔の時代であるにせよ、追究する対象は社会の産物であり、ヴィーコが教えてくれたように、その社会はたしかに人間によってつくられたものであり、したがってその原理はわたしたちの人間精神そのものの変化様態のなかに求めることができるものなのであるから。
(初出:日本ヴィクトリア朝文化研究学会『ニューズレター』2016年5月1日)
汚れなき空のかけら――E・М・フォースターのディストピア
E・М・フォースター(1879-1970)の「機械が止まる(The Machine Stops)」の初出は『オクスフォード・アンド・ケンブリッジ・レヴュー』の1909年秋学期号で、その後短篇集『永遠の瞬間』(1928)に収録された。1947年に編まれた『短篇集』の序文で、著者はこの作品を「H・G・ウェルズの初期のさまざまな楽天的世界への反動」であると注記している*1。『モダン・ユートピア』(1905)などでウェルズが描いた、技術革新による新たな文明世界の理想像に対置して、フォースターは機械文明が人間に災禍をもたらす、ネガティヴな未来像を提示してみせる。この短篇ファンタジーは、ディストピアという二十世紀に典型的な文学ジャンルのほぼ出発点に立つ。
『短篇集』のなかではこれが最も長い作品(1万2千語強)で、「飛行船 (The Air-Ship)」、「修理装置 (The Mending Apparatus)」、「ホームレス (The Homeless)」の三部構成。書き出しはこうだ。
もしできるならば、蜂の巣房のような六角形の小部屋を想像されたい。窓の明かりもランプの照明もないのに、柔らかな明かりに満ちている。換気口がないのに空気は新鮮。楽器などないのに、私の瞑想がはじまるこの瞬間に、この部屋は快い調べが鳴り響いている。(1)
部屋にある家具はアームチェアとライティング・デスクだけ。ここは「キノコのように白い」顔をした女主人公ヴァシュティの部屋で、この未来世界の人間の住居はすべてこれで規格統一されている。迷信その他の旧弊な観念が排除され、グローバル化が貫徹して、ウェルズのいう「世界国家 (the World State)」が実現しており、もはや地域差は消滅している。しかもそこは地下世界であって、人びとは地表に出ることはほとんどなく、出るためには人工呼吸器を必要とする(地下の空調設備に順応していて自然の大気は耐えられなくなっているので)。
もっとも、地表に出て日光を浴びたいとか、星を見たいという欲求もない。「蜂の巣房のような六角形の小部屋」に全員が引き籠もっていて、そこは「独房」さながらなのだけれど、べつだん不自由は感じない。なにしろ、食事もベッドも情報も娯楽品も、必要になったらボタンを押せばたちどころに出てくる。話し相手にも不自由しない。直接会うことはないが、通信講座で音楽を講ずるヴァシュティには数千人の知人がいて、テレビ電話で連絡が取れる。「ある方面では、人の交流はとてつもなく進歩していた」(1)と語り手が皮肉な口調で伝える。邪魔されずに思索にふけりたければ「遮断スイッチ」を押せばよい。
そのマニュアル本として、「機械の書」を各人が所有している。「非機械的(アンメカニカル)」な行為は不法とみなされ、「機械委員会」によって「ホームレス」の刑罰に処される。これは地表へと追放されて直接大気にさらされる罰で、事実上それは死刑を意味する。しかし彼らのほぼ全員が「非機械的」なまねをしようなど毛頭考えない。ヴァシュティも、「機械の書」を撫でながら「ああ、機械よ! 機械よ!」(91)と唱え、この地下世界のグローバルな機械文明を完全に受け容れ、信頼している。
ところが地球の裏側に住む息子のクーノーはそうではない。彼はオーウェルの『一九八四年』(1949)の主人公ウィンストン・スミスを典型とするような、ディストピア世界に違和感を覚えて反逆する人物である。彼は母親に対して、機械を通してではなく直接会って話したいと、この世界にあっては異端的とされる申し出をする。直接ふれあうことなど、思っただけでも身震いすることではあったが、数度の申し出のあと、母は高速飛行船を使って息子に会いにいく。その不愉快な出発と途上のくだりが第一部。
第二部で、クーノーの部屋(造りは母親のそれとまったく同一)に到着したヴァシュティは、息子の冒険譚を聞かされる。それは彼女にとっては忌まわしい話で、クーノーは、人工呼吸器と衛生服を身につけて、無断で地表に出てきたという。外気を封ずる遮断蓋を見つけ、それを開けて戸外に出ると、陽光に照らされたウェセックス地方の風景が広がっていた。クーノーの告白はやがて幻想的な趣を帯びてゆく。日没頃、窪地の外気と人工空気の境目あたりに、「長く白い蠕虫」(107)が這い出してきて、彼の足首にからみついた。それが一匹でなく、周囲一体にうじゃうじゃと出てきて、彼をがんじがらめにして、失神させた。気が付くともとの自分の部屋にいて、虫は跡形もなかった。最後に彼は、意を決してこう告白する――戸外の黄昏のなかで、一人の女性が現れて彼を助けに来た。しかし彼女も蠕虫にからまれて、「ぼくよりも幸福なことに、喉を貫かれて殺されてしまった」(108)。ヴァシュティはこの奇妙な告白を聞いて息子の頭が変になったと思う。しかし、ここはクーノーの主観的な語りであって、彼は機械の「修理装置」を蠕虫と取りちがえていたのだということが後ほど語り手によって明かされる。
第三部では、機械の二大革新と最後の破局を語る。クーノーの向こう見ずな冒険の後、まず人工呼吸装置が廃絶されて、地上に出ることは事実上不可能となった。もうひとつの革新は「機械の書」を聖典としての宗教の復活。それは機械そのものを神格化する宗教にほかならない。そして、あまりに進歩したために、もはや機械は人間の手に負えなくなる。「年々、機械の能率は増大し、知性の方は退化していった。・・・その怪物の全体を理解する者は世界中一人もいなかった」(111)。
機械が人の手に負えなくなるといっても、ここでは(後のサイバーパンク小説などによくあるように)人間の制御から機械が完全に自立して、意図的に人間の支配を始めるということではない。機械のヴァージョン・アップと反比例して、人間の精神が退化してゆき、「機械の書」の全体を熟知していた技術者も消え、必要なメインテナンスが不可能になってしまうのである。些細な故障がしだいに重大な欠陥として広がってゆく。音楽に雑音が入る。人工果実にかびが生える。浴槽の水が悪臭を発する。自動収納のベッドが出てこなくなる。いずれも住民は最初は当局に苦情を言うが、機械への信仰から、すぐに文句を言わなくなる。そしてついにある日、コミュニケーション・システム全体が故障してしまう。それまでの機械音が消えて、はじめて沈黙がおとずれて、それだけで数千人がショック死する。最後には飛行船が爆発して地下都市をずたずたに引き裂き、みなと一緒に、ヴァシュティもクーノーも滅び去って物語は終わる。
先ほど私はクーノーを『一九八四年』の主人公と比べたが、二人の反逆の対象はいささか質を異にする。ウィンストン・スミスは、純然たる権力追求を動機とする「党」の支配体制に立ち向かうのであり、その先には、その体制を維持・強化せんとする少数の支配層の強固な意志が実体として措定されている。それに対して、クーノーのいる地下世界には、「機械」を道具として世界支配を果たそうというような独裁者の意志は見られない(委員会じたいも機能不全におちいる)。
むしろ、クーノーが立ち向かうのは、藤田省三が「『安楽』への全体主義」と名づけたような、二十世紀の高度技術社会を支えた心性そのものであるといえる。それは「私たちに少しでも不愉快な感情を起こさせたり苦痛の感覚を与えたりするものは全て一掃して了いたいとする絶えざる心の動き」*2である。「全ての不快の素を無差別に一掃して了おうとする現代社会」は、「安楽への隷属」と同時に「安楽喪失」への不安を生み、「分断された刹那的享受の無限連鎖」を生み、その結果、本来なら一定の苦痛や不快の試練に耐えてそれを克服したところに生まれる「喜び」の感情を奪った。それは「複合的統合態としての精神」の解体と雲散を示す*3。
フォースターの物語においても、「人類は、安楽さを欲するあまり度を超してしまった」(111)。「不愉快」な他者や事物との直接的な相互交渉を忌避するのがここでの「時代精神」になっている。「進歩的」な学者の一人は「直に得た思想にご用心」(109)と説く――思想は直接観察でなく、何重にも仲介者を経由させなければいけません。そうなってこそ、生の事実や印象を超越した、「天使のごとく、個性の汚れから自由」*4な、「完全に無色透明な世代」が生まれるのです(110)。
こうした「時代精神」に対抗するための第一歩として、クーノーは身体運動にはげみ、人びとが失った「空間の感覚」(100)を、あるいは自己克服の動力としてのリズムを取りもどそうとつとめる。「機械はぼくらから空間の感覚と触覚を奪ってしまった。あらゆる人間関係をぼやけさせ、愛を性行為に矮小化し、ぼくらの身体と意志を麻痺させてしまった。そうしていまやそれを崇拝せよと強いている」(105)とクーノーは言う。
アビンジャー版の注釈者が示唆するように、Kunoという名は古典ギリシア語の「犬の (cynos)」や「犬のような (cynicos)」に由来する可能性があり、あの自由人ディオゲネスのように、社会的因襲には「シニカル」に対し、自然の賜物を尊ぶ思想の持ち主という含みがあるのかもしれない(187)。クーノーは、この物語世界で危機的事態に対処しうる独立精神を備えた唯一の人物なのである。とはいえ、彼でさえも崩壊する地下都市から脱出することはできない。もはや破局を逃れることができないことを思い知って、彼は、母とともに、「自分のためではなく、人類のために」(117)さめざめと泣く。
「希望はあるのかしら、クーノー?」
「ぼくらには、何も」
でも、自分が以前に地表で目撃した「ホームレス」の人びとにはあるかもしれない、とクーノーはほのめかす。「機械」を再び動かす馬鹿者ももはやいないだろう。もう過ちは繰り返すまい。「人類は教訓を得たのだから」。
そう言ったとき、都市の全体が「蜂の巣のように」崩壊する。テクストの最後のセンテンスは、主人公の母子が死ぬ悲劇的な内容だが、ちがう要素もある。「一瞬、二人は死者の国を見て、それから、その一員となるまえに、汚れなき空のかけらを見た」(118)。小説の最後が “scraps of the untainted sky”というフレーズで結ばれていることに注目したい(これはトム・モイランが注目すべきディストピア研究の書物の表題に採っている)*5。爆発して落下する飛行船の鋼鉄の翼に引き裂かれて、おそらく地下と地上を隔てる障壁に穴が空いたのである。ディストピアの語りなので、それは当然のこととしてカタストロフィで終わる。だがそれにもかかわらず、この幕切れで不自由な世界の閉鎖系に穴が穿たれて、そこから別世界の光景が、一瞬、掠めすぎるようなイメージとして、垣間見られる。絶望的な世界のなかで、希望の光がかすかにきらめく。あくまでそれは「スクラップ」(断片、破片)にすぎないのであっても、周到にもフォースターは、結句に希望の「かけら」を置いているのである。
逆説的だが、そもそも希望がなければディストピア小説など書けないし読めないのだと私は思う。
*本稿の初出は『英語青年』150巻2号。2004年5月(初出時タイトル「E・M・フォースター「機械がとまる」」。川端康雄『葉蘭をめぐる冒険――イギリス文化・文学論』みすず書房、2013年に再録。
*1:E. M. Forster, “The Machine Stops” (1909): Machine Stops and Other Stories (Abinger Edition 7). Edited by Rod Mengham (London: Andre Deutsch, 1997), p. xvi. 以下、「機械が止まる」からの引用箇所は、このテクストの該当ページを本文中に注記する。
*2:藤田省三『全体主義の時代経験』みすず書房、1995、314頁。
*3:同書、10頁。
*4:「天使のごとく、個性の汚れから自由(seraphically free / From taint of personality)」というのは、ジョージ・メレディスの詩“The Lark Ascending”(1881)に含まれる表現。ジョン・ラスキンの場合と同様、フォースターはヴィクトリア朝の著述家をこんなふうにシニカルに使う。
*5:Tom Moylan, Scraps of the Untainted Sky. Boulder, Colorado and Oxford: Westview Press, 2000.
「ジョージ・オーウェルと現代―没後70周年記念シンポジウム・講演会」中止のお知らせ
(お知らせ)2020年3月24日(火)に日本女子大学目白キャンパスにて開催を予定しておりました「ジョージ・オーウェルと現代―没後70周年記念シンポジウム・講演会」は新型コロナウイルス感染症の影響拡大に係る日本女子大学の方針を受け、中止とすることを決定いたしました。
予告「ジョージ・オーウェルと現代―没後70周年記念シンポジウム・講演会」(2020年3月24日)
開催が正式決定したので以下に予告します。
「ジョージ・オーウェルと現代―没後70周年記念シンポジウム・講演会」
日時:2020年3月24日(火)13:30~17:50
会場:日本女子大学目白キャンパス新泉山館1階大会議室
第一部:シンポジウム「オーウェルと現代」
報告者:小川 公代(上智大学)
川端 康雄(日本女子大学)
秦 邦生(青山学院大学)
髙村 峰生(関西学院大学)
討論者:河野 真太郎(専修大学)
司会:川端 康雄
第二部特別講演:Dr David Dwan (Oxford University), “George Orwell and Humanism”(仮題)
司会:秦 邦生
(主催)日本女子大学文学部・文学研究科学術交流企画
(共催)科学研究費基盤研究(C)「モダニズム以降のイギリス文学・文化におけるノスタルジアの情動論的・空間論的研究」(代表者:秦邦生)
入場無料、予約不要。どなたでもご自由に参加いただけます。
(開催趣旨)2020年はイギリスの作家ジョージ・オーウェル(1903-50)の没後70年に当たります。死の前年に発表した小説『一九八四年』(Nineteen Eighty-Four, 1949)がもっともよく知られる作品で、現代社会のさまざまな局面で「オーウェル的」(Orwellian)という語が発せられるのを頻繁に耳にするのは、その小説のインパクトの強さと永続性を示すものなのでしょう。
本企画は、昨年に開催した「オーウェル『一九八四年』とディストピアのリアル――刊行70周年記念シンポジウム」( 2019年3月5日)の続編です。ただし今回は『一九八四年』に限定せず、小説家・ジャーナリスト・エッセイストとしてのオーウェルの著作と活動の全般を射程に入れ、いまオーウェルを読むことのアクチュアリティについて考えていきたいと思います。
会は2部構成とし、第一部を日本人研究者によるシンポジウム(使用言語は日本語)、第二部をデイヴィッド・ドワン氏による特別講演(英語。仮題 “George Orwell and Humanism”)とします。ドワン氏はオクスフォード大学ハートフォード・コレッジ准教授。近著に『自由・平等・ペテン――オーウェルの政治的理想』(David Dwan, Liberty, Equality and Humbug: Orwell’s Political Ideals, Cambridge University Press, 2018)があります。
シンポジウム各報告者のタイトル等については後日改めてお知らせします。
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第4回デザイン史分科会 「ウィリアム・モリス研究会」
12月21日(土曜日)12:50~17:30
慶應義塾大学日吉キャンパス 来往舎2階 中会議室
スケジュール
開会の言葉 横山千晶 12:50~13:00
第一部「作家としてのモリスと創作のインスピレーション」13:00~14:45
1. 江澤美月「ウィリアム・モリスと詩のコックニー派――『グィネヴィアの弁明とその他の詩』を契機として」
発表 13:00~13:25
質疑応答 13:25~13:35
2.川端康雄「モリスの政治劇『テーブルは覆る、ナプキンズは目覚める』をめぐって」
発表 13:35~14:00
質疑応答 14:00~14 : 10
3.井上亜紗+海老名恵「モリス協会主催テムズ川遡行ツアーに参加して」
発表 14:10~14:35
質疑応答 14:35~14:45
(休息15分)14:45~15:00
第二部「芸術家としてのモリスと私たちへのインスピレーション」15:15~17:20
4.横山千晶「ArtとCreativeの意味を問い直す――ラスキン、モリスから私たちへの系譜」
発表 15:00~15:25
質疑応答 15:25~15:35
5.田邊久美子「バタフィールドとモリス周辺の関連について」
発表 15: 35~16:00
質疑応答 16:00~16:10
6.藤田治彦「ロセッティ、ジェインとウィリアム・モリス――壁紙《格子垣》とその周辺」
発表 16:10~16:35
質疑応答 16:35~16:45
7.青山悟「《Lonely Labourer》 (映像作品、11分20秒)の制作について」
発表 16:45~17:10
質疑応答 17:10~17:20
閉会の言葉 川端康雄 17:20~17:30
主催:意匠学会
後援:慶應義塾大学教養研究センター