1週間分(以上)まとめて

10月8日(土)午後大阪へ。大阪泊。

10月9日(日)秋晴れのなか、関西学院大学上ヶ原キャンパスへ。第二教授研究館第2会議室にて、10時〜午後1時、レイモンド・ウィリアムズ研究会特別例会。遠藤知弘氏(名古屋大学工学部・原子炉物理学(臨界安全))を迎えての「原子力、社会、そして文化」をめぐるインタビューと討議。午後1時半〜6時半、同会場にて、ワークショップ 「地方分権と文学」(「原子力と文学」の研究会/科学研究費補助金・基盤研究(B)「構造主義の残滓としての英国批評の国際的再検討−ラスキンからウィリアムズまで」共催企画)。メニューは、【報告】西亮太(一橋大学院生)「選択的伝統としての「原子力」と、「田舎」の想像力」。【文献解題】大貫隆史(関西学院大学)「高木仁三郎『市民科学者として生きる』を読む」、河野真太郎(一橋大学)「関曠野『フクシマ以後』を読む」、杉本裕代(東京都市大学)「Alexis Madrigal, Powering the Dream: The History and Promise of Green Technologyを読む」終了後、打ち上げに参加したかったが、時間の都合で帰京。深夜を回って帰宅。

10月10日(月)昼に出勤。午後2時、学生との面談。3時、学生課長らと来年度新入生オリエンテーションの打ち合わせ。3時半、学務部の課長らと打ち合わせ。5時限目、西洋古典・中世文学特論。

10月11日(火)9時半出勤。2時限目、イギリス文化講義。テレンス・コンランを中心に食文化とデザインについて。午後1時〜2時半、研究費使用に関する調査委員会。3時〜4時半、理事会。5時〜6時半、学園綜合計画委員会。8時帰宅。サッカーW杯アジア三次予選日本代表対タジキスタンを途中からTV観戦。8-0の大勝を見届けて、DVD『ビートルズ・アンソロジー』の66-67年あたりを見る(文化講義の準備でもある)。

10月12日(水)9時20分出勤。9時半〜10時半、事務局会議。10時半〜11時、入学課長と打ち合わせ。午後1時15分〜3時10分、学部長会。3時15分〜4時40分、常任理事会。5時〜5時40分、公的研究費の管理運営・監査委員会。5時45分〜5時55分、人間社会学部長と打ち合わせ。6時〜7時40分、教養教育改革部会。残務ほか、9時15分まで。10時半帰宅。

10月13日(木)9時半出勤。2時限目イギリス文化演習II、映画『恋に落ちたシェイクスピア』を材料にした発表と討議。午後は事務仕事、教務打ち合わせ、午後4時から学生のインターンシップ報告会。中座して5時〜5時40分、国際交流委員会。6時〜7時、一般入試出題採点部会。残務。10時半帰宅。

10月14日(金)9時半出勤。2時限目、大学院のイギリス文化講義。引き続きラスキン。12:40、屋上庭園(フロートガーデンという名前がある)で卒論ゼミの写真撮影。3時限目、卒論ゼミ。2つめのチャプターの提出。これを添削して返さなければならない。3時、教務の打ち合わせ。4時20分から英文学科会議。中座して6時〜7時半、語学改革部会。10時半帰宅。

10月15日(土)午前中は自宅で来年度卒論ゼミ入室希望者の面接のためのメール連絡など。午後、東松山丸木美術館を見学。車でいけばいまの自宅から1時間もかからない距離にあって、いつでも行ける感じでいながら、行きそびれていた美術館。丸木夫妻はたいへんな仕事を残された。

10月16日(日)午前中、駅前のマインシアターにて、映画『大鹿村騒動記』を見る。主要な役者の年齢層はたいへん高いのではあるが、途中からなんだか青春映画を見ているような、村人たちの純情可憐さが胸を打つ。とりわけ主演の原田芳雄はまなざしも心持も若々しく、これが遺作で亡くなるとは、残念至極で、夭折と称したくなる。
 午後は授業準備、たまっているメールの返事など。まだお返事していないのが結構ある。

防災訓練ほか

10月3日(月)12時出勤。事務仕事の合間に学生との面談数件。5時限目西洋古典・中世文学特論。9時帰宅。

10月4日(火)9時半出勤。2時限目イギリス文化講義。1951年のイギリス祭を中心に、コモンウェルス、移民(政策)などについて。『愛と戦い…』をテキストにし、パワポで要約、学生の食いつきは悪くないという感触。午後学生との面談(5名)。事務仕事。夕方、来年度オープンキャンパスの計画について学長、入学課長と相談。9時帰宅。

10月5日(水)9時半出勤。家政学部長とある問題で相談。10時〜11時、学務部部課長会。午後1時15分〜3時、学部長会。午後3時15分〜5時、常任理事会。9時帰宅。

10月6日(木)10時出勤。2時限目、イギリス文化演習II。映画『ベッカムに恋して』を使っての発表と議論。終了10分前の12時から全学的な防災訓練。緊急地震速報が入って大地震が襲い、目白キャンパスの建物の一部で火災も発生したという想定。授業中の訓練は10分で終了し、そのあと中庭での東京消防庁の協力のもとでのデモンストレーションに少し付き合う。消火器の練習などやってみる。西生田に移動するため中座。午後2時、西生田キャンパス。2時半〜3時、博士課程前期修了者学位記授与式。3時半〜4時半、研究科委員長会。4時半〜5時40分、大学評議会。5時50分〜6時20分、自己点検教学委員会。9時帰宅。

10月7日(金)10時出勤。2時限目、大学院のイギリス文化講義。ラスキン「ゴシックの本質」の続き。昼休み中、学生との面談3件。3時限目、卒論ゼミ。中間発表とコメント。午後3時〜4時、学長、副学長と学内の規定について相談。4時半〜5時半、英文専攻会議。7時半帰宅。

3:11のあとのともだち

9月28日(水)10時に出勤。11時より、私費外国人留学生授業料減免審査委員会。12時半キャリア委員会。午後1時15分〜3時半、学部長会。3時半〜5時40分、常任理事会。そのあと常務理事と打ち合わせ。6時15分〜7時半、教育研究改革部会に途中から出席。残務を9時まで。

9月29日(木)9時半出勤。2時限目、イギリス文化演習II。映画『トレインスポッティング』を扱った発表。12時20分〜50分、英文専攻会議。午後1時半、大学院入試のことで打ち合わせ少々。午後2時〜3時20分、教授会、議題が盛りだくさんだったが、予想外に早く終わる。そのあと文学科研究科委員会。残務7時半まで。

9月30日(金)9時半出勤。2時限目、大学院のイギリス文化講義。ラスキン「ゴシックの本質」を中心に。3時限目、卒論ゼミ。午後3時半、非常勤で来ていただいている田中さんとシンポジウムの打ち合わせ。午後4時20分〜6時、英文学科会議。残務8時まで。

10月1日(土)8時半出勤。午前9時より、後期採用職員の辞令交付式。5人の新任(中途採用者)の辞令交付。事務局の管理職が揃い、顔合わせ。午後1時より、大学院英文専攻の修士論文中間発表会。6人の発表があり、担当教員、また院生が原則全員参加。提出締切まで残り4ヵ月、発表と質疑応答を通して、問題点を確認するのに有意義な会であった。3時終了。終わって、院生2人と研究室でお話し。残務7時まで。
 帰宅後、深夜0時から、スカパーにて岩井俊二監督のドキュメンタリー『friends after 3.11』を観る。このような作品を作ってくれた岩井俊二監督に心底から敬意を表したい。
 いま検索したら、さっそくYoutubeに分割でアップされているのを確認。その1はここ

10月2日(日)終日自宅。卒論ゼミの英語論文の添削など。

講義開始

9月26日(月)朝7時半に山小屋を発って9時半に自宅。支度を少ししてから正午前に出勤。5階での学務のデスクワークと、合間に9階に上がって学生との面談。5時限目、西洋古典中世文学特論の後期第一回目。後期からオウィディウス『変身物語』のオリジナル韻文にいよいよ入る(前期はパラフレーズした散文だった)。第13巻のトロイア物語のイフィゲニア生贄のいきさつのくだり。進んだのは20行ほど。ヘクサメテル詩形の韻律分析の手ほどきで時間の半分以上を費やす。慣れればお茶の子さいさいなのだが、初心者ではとまどうのはやむをえない。食いついてくるだけ見上げたものだ。9時帰宅。

9月27日(火)9時半出勤。事務打ち合わせ少々。2時限目、イギリス文化講義2の第一回目。今期は20世紀半ば以降のイギリス文化を扱う。使用テクストは出来たてほやほやの、このブログで難航ぶりをたびたび書いてきたこの本。

愛と戦いのイギリス文化史―1951‐2010年

愛と戦いのイギリス文化史―1951‐2010年

一回目は導入で、テーマや全体の授業計画の説明をしたあと、1951年のイギリス祭の記録映像のDVDを見て次回へのつなぎとする。午後は学生の面談(用件は主に来年度の卒論の計画とゼミ入室についての相談)と事務仕事で6時過ぎまで。早めに引き上げて8時帰宅。

小浅間

9月24日(土)午後から信州へ。およそ一月半ぶりになる。半袖で出発したが、山小屋に到着して長袖シャツにセーターを着る。

9月25日(日)授業の準備など。午後、峰の茶屋までのぼり、小浅間周辺を2時間ほど歩く。

秋色が濃い。

ところで、最近、関西テレビの番組で原発事故を特集したコーナーで山本太郎さんが出演して発言したものがあって、それがネットでアップされているのを知って見てみた。いやあ珍しい。
ここからまだ(25日の21時50分現在)見られます。

オリンピックじいさん

9月23日(金)お彼岸で横浜・鶴見まで。お寺(慶岸寺)にお墓参りをし、実家に行く。

帰り道、実家の裏手にある総持寺を通る。

総持寺の向唐門(むかいからもん)。
このお寺は私の子供時代の遊び場の一部で、現在大駐車場となっている西側奥のスペースは1970年代初めごろまですり鉢状の土地で中央に池があり、そこにアーチ状の橋が架かっていた。池には大きな鯉や鮒、あるいはカエルやヤゴもたくさんいて、ギンヤンマが池の上を飛んでいた。魚釣りはもちろん禁止で、それをすると管理人のおじいさんが目ざとく見つけて捕まえに来るのだった。その管理人は地元の子供たちの間では「オリンピックじいさん」というあだ名で恐れられていた。釣りはもとより、子ども(概ね男の子)が境内でなにか遊びをしていると、すぐに飛んできて介入する、その素早さからそう呼ばれていたのだったが、いまから思うと、あの速さはじいさんというよりはおじさんだったのかもしれない。釣りをしている現場を押さえられたとき「殺生」をするのがいけない云々の説教を受けたのだったが、その古池が突然埋め立てられたのを見たとき、魚たちの運命を思い、理不尽な気がした。その頃はオリンピックじいさんももういなくなっていた。

台風通過

9月21日(水)9時出勤。後期授業開始日。両キャンパスとも、午前中は平常通り授業を行ったが、台風15号が夕方関東地方を通過する可能性が濃厚ということで、学長と相談し、午後から休講措置とする。9時半〜10時半、事務局会議。11時〜11時半、センター・一般入試事務連絡会、11時半〜12時、学務部の部課長会議。1時15分〜2時、学部長会。2時半〜3時半、常任理事会。台風接近で一部電車が止まりだしたので、5時前に大学を出て帰途につく(後から考えると、早く帰ろうとしなければよかった)。目白駅から山手線に乗ったまではよかったが、上野回りで帰ろうとしたところ、巣鴨駅で山手線全線が不通に。地下鉄を乗り継いで上野駅まで行ったものの、台風が最接近していて、家路への電車はすべて不通となっている。駅近くの料理屋で過ごすなどして復旧を待ち、結局帰宅は10時半となった。

8月22日(木)9時半出勤。2時限目、イギリス文化演習II-2第一回。後期発表のグループ分けなど。昼休み中、英文学科会議。1時半〜2時半、英文学科3年生を対象にした来年度卒業論文ゼミ分けのための説明会。ゼミ担当予定者がそれぞれ5分以内でゼミの特徴などを説明。今回、ゼミ分けの方法を従来のやり方とは変えたため、こういう説明会は初めてとなる。どのような結果になるだろうか。質疑応答の時間に、学生の何人かから当然と思われる疑問点が発せられる。終了後、短い打ち合わせをいくつか。6時〜7時半、外国語分科会第3回。主たる議題は両キャンパスでの英語と第2外国語のカリキュラムの現状と課題について。残務を9時半まで。10時半帰宅。