ボーダー・カントリー

 先週のウェールズ旅行について。夏に一度スノードン山に登ったので、ウェールズは二度目になるが、今回は南東部カーディフ、そして「ボーダー・カントリー」へ。イングランド北西部のランカスターからカーディフまでは、高速道路を使っても(途中休憩が入るが)車でおよそ5時間の長距離。見慣れない語の表記が目に付きだして、ウェールズに入ったことがわかる。道路標識ほか、ウェールズ語と英語が併記されている。道路の白線のArafはすぐに覚えた(slowの意味)。またTVではウェールズ語のチャンネルがある。
 2泊3日で、1泊目はカーディフ泊、カーディフ博物館、カーディフ城、郊外のスランダフ(Llandaff 大聖堂にモリス商会のステンドグラスがある)、セント・フェイガンス(St Fagans 民俗博物館がある)を訪ね、2泊目はブラック・マウンテンの南の入り口にあたるアバーガヴェニー(Abergavenny)の鉄道駅近くのインに泊まる。翌日パンディ(Pandy)へ。レイモンド・ウィリアムズの故郷、イングランドとの国境に近い小村。ウィリアムズの生家も残っている。



手前のセミディタッチドの右側が生家(Llwyn Derw)



ドア(このあたりだいぶリフォームされている)の右には


「ライター、レイモンド・ウィリアムズ 1921-1988 ここに生まれる」と記されたプラークが取り付けられている。
 ダイ・スミスのウィリアムズ伝に載っているウィリアムズ自筆の「昔のパンディ(Pandy as it was)」など見ながら周囲を歩いてみる。東の牧草地をちょっと上っていくと、すぐに「オファの防壁(Offa's Dyke)」に至り、文字どおりボーダーであることを実感する。


 鉄道駅はなくなっているが、駅長室にあたる建物など住宅に転用されて残っている。線路そのものはいまも使われていて、ときおり二両編成のローカル線がけっこうなスピードでゴーッと通り過ぎていく。


Skirrid Fawrをのぞむ。宮澤賢治は「たよりになるのは/くらかけつづきの雪ばかり」と歌ったが、
ウィリアムズは『田舎と都会』でこう書いている。

私が夢に見る風景といえば、ただひとつ、生まれ故郷のブラック・マウンテンの村である。あの田舎に戻ると、ある特殊なたぐいの生の回復を感じる。それは時として、ひとつの逃れがたいアイデンティティとして、ほかの場所で知った以上にポジティヴなつながりとして現れる。……隣人関係というのがどういう意味か、また〔隣人・家族と〕別れてそこを離れていくことがどのような気持ちなのか、私は知っている。しかしその一方で、人びとがなぜ動かなければならなかったか、私の身内でなぜかくも多くが離れていったか、それも私は知っている。

上記は第8章「自然の(さまざまな)糸」より。自伝的な言及はT.S.エリオットのような「定住(settlement)」の絶対的な肯定の身ぶりに倣うためのものではもちろんなく、あるいはサイードが好んだサン・ヴィクトルのフーゴーの名文句――

故郷を懐かしく思う者はまだ青二才である。どの土地もおのが故郷のごとくなっている者はすでに強い。だが、全世界をおのが異郷としている者こそが完璧なのである。

――に見られるような「故郷(国)喪失者」の(皮肉でなくかっこいい)アイデンティティに一方的にくみするためのものでもない。ウィリアムズ風としか呼びようがない、定住と漂白の弁証法的思考をどんくさくつづけてゆくために、夢に現れる故郷と、そこからの別離の経験をもちだしてくるのだ。「私にはこうした感情が自分自身の経験からただちにわかる」と。
 すっきりと、スマートに割り切ら(れ)ない、このどんくささがいかに大事なことか・・・それこそこれは(口真似をすると)私は自分自身の経験に照らしてすぐにわかるのだが、性質上まさにすっきりと分節化できないことであり、いかにしてこれを語る言葉を見つけるか・・・そのための「発語訓練」をいかにするか・・・などと、ぐだぐだと考える機会に、行ってみて、それなりになったのであった。