文学的な闘い

午前10時半に出勤。打ち合わせ数件。午後1時15分、学部長会、議題が多く(教授会の直前はどうしても多くなる)、3時15分ぎりぎりまでかかる。5分遅れて3時20分常任理事会。こちらは議事は少なめで、1時間で終わる。学務部長室に戻り、電話と直での打ち合わせ5件。6時半、学長室、先週イタリア、パヴィアでのの学生ワークショップ会議に派遣した3人の学生の帰国報告。その正式な報告は7月に行うことになる。30分ほどで終わり、部屋に戻って9時まで残務。帰路、駅に着いて空を見ると、南方に奇妙におぼろな満月。

関曠野オーウェル論のひとつを読み返す(彼には重要なオーウェル論が私の知るかぎり、3本ある)。そのなかから一部引用――

[オーウェルは]動乱の時代には作家も市民的、非文学的な義務を果たすべきだという立場から政治化した作家ではなかった。スペインから帰国後の彼は急速に全体主義に対する戦いにのめりこんでいったが、それは意識をせばめ偽造し抹殺する力と体制に対する文学者としての使命に立った、本質的に文学的な闘いだった。全体主義の核心は、テロや専制ではなく、「客観的真実」の否定にある。そしてオーウェルのいう「客観的真実」とは、科学的実証的客観性のことではなく、意識を狭量な自己正当化から解放し拡大させるような意識の目標を意味する。
 それゆえに現代の全体主義は、従来の専制や独裁の延長線上にあるものではない。人間の意識に狙いを定めている点で、それは文学のライバルであり、文学の使命の悪魔的な戯画なのだ。
                 (「言葉、政治、そして人間らしさ」『オーウェル評論集2 水晶の精神』平凡社ライブラリー、解説)